家庭の笑顔


この村の人たちを見ていると、都会と比べて笑顔でいる人がとても多いです。

インドの都会だと忙しかったり、またはエゴでツンツンしてたりであまり笑顔を見かけないのがちょっと残念。

先日Rさんからお便りを頂いたのですが、12歳の娘に「ママはこの家の中で一番年下だよね。体は大人だけど…。だいたい8歳くらいかなあ。私よりは下だね。」と言われました。あまりにも当たりすぎていて何も言い返せませんでした。

と言うくだりがあり、朝から爆笑してました。

グルジが他界してから笑うことが少なくなってしまったので、朝から笑わせてもらえて嬉しかったです。

もちろんご本人は笑わせる意図は全くなかったと思いますが。

でも、Rさんは

「子どもたちが生まれてから「良い母親でいないと」と気を使っていた時があって、しばらくして気がついてみると大人風を吹かせて子どもたちをどこかの教官のように指導している自分がいました。これではいけないと改めた結果、いつの間にか子どもたちにイタズラしたりからかったりする親になってしまいました。学校に行っている間にも勉強や友達のことで子どもたちにはそれなりのストレスがあるだろうと思うので、家に帰ってきてからは私のteasing で笑い、リラックスできたらという思いでいるんです。」

とありました。

娘さんもジョークっぽく(絶対本気 笑)ママは精神年齢8歳とか言っているんでしょうけど、大きくなった時に「私のママはいつも私たちを笑わせてくれる最高のママ!」って思うときが来るでしょうね。

やっぱり家庭の中で一番必要なのって、母親の笑顔じゃありません?

これさえあれば、夫も子供達も頑張れるし、苦難も乗り越えられる。

笑顔でいることや笑顔にさせるって、簡単じゃないですよ。

むしろ不安になったり、イライラする方が簡単にはまりますけど、それを笑顔でいよう、笑顔にさせようというのは、なかなか難しいところ。

Rさんの場合は、ある部分では精神年齢が低いところもあり(こんなの誰にでもありますよ!ただ娘さんがすごくしっかりしているため、見抜かれてしまっているだけ!)ある部分ではとても理解が深いところもあり、ある部分では非常に霊性が高いんです。

そんな母親に育てられるお子さんたちの成長がとても楽しみです。


ここの村での笑顔。
やっぱり笑顔って癒されます。

地べたのドンと座り孫をあやす近所のおばさん

夕飯を作るおばちゃん
彼女はいつ会ってもニコニコしてます!

村のしあわせ


都会の暮らしは楽しく便利な反面、家賃に食費、スクールフィーと全てが高いですし、ファッションに、グルメに、いい車に乗って、いい暮らしをしたい!

と欲望は果てしないですよね。

そして気持ちもせわしくなる。

この村の人々は超ミニマム級の生活をしています。

こういう生活レベルの人たちを見たことはたくさんありますが、実際に入って暮らすのは初めてなので、とても感慨深いものがあります。

私がブッダガヤから荷物を持って引っ越してきた時の村人の反応のすごいこと。

「うわーーーこんなにたくさん物持っているのー?!」の連続。。。

グルジと一緒でしたので、幾らかの家具、家電がありますからトラックを呼ぶレベルではありますが都会人の中では殆ど持ってない方です。

テレビもソファーもないし。

この村の人たちは、暮らしが最小で間に合っているからガツガツと追いかけてもないんです。
ちなみに家電はないし。
冷蔵庫を持っている家族はこの村にはいません。
オーブンもないし、洗濯機なんてあるわけない。
言うまでもなくエアコンなんてないし。
あるのはベッドと 幾らかの服。
マットレスとかないですよ。ベッドの板の上にゴザを敷いて寝ています。硬い板の上でみんな寝れちゃうんです。
布団を使っている人もいますが、1. 5cmくらいの薄くてペタペタの布団というか、板を直接背中で感じるから骨がゴリゴリして痛くて眠れないレベルのもの。
あとはキッチン用具くらい。

あ!バイクがある。

どの家族もではないですが、いくらかの家族は一家に1台バイクがあります。
この村には公共交通手段などはありませんから、バイクがないと買い出しにもどこにも行けませんので、バイクは一番高価な所有物ですね。

ここの女の子たちに「都会に出たい?都会で暮らしてみたい?」と聞いてみたら誰もが首を横に振って「いや、ここでいいわ。」と。

長女のプリヤンカ。
家の中に水道管があるのは、この村でこの家くらいかも。。。
でもシャワーくらいしか使われてません。
どこの家にもチャパカルと呼ぶ、手動の井戸で飲み水から食器洗い、洗濯、シャワーも全てここでおこなわれます。
女性は布一枚巻いた状態で体を洗い、男性の場合はパンツ1枚で直に座り全身を洗います。
ちなみに洗濯は各自で行うんです。
洗濯機なんてありませんから、それぞれ身体を洗うときに服も自分で手洗います。
自分の服を自分で洗うのはもう4歳くらいになったら始まります。
井戸のレバーを押すのも結構力がいるのですが、4歳くらいですと腕力では無理なので、ぶら下がって全体重をのせてバケツに水を溜め、自分で頭も洗って水を浴びてそこで洗濯もします。
あんなに小さな子が???とびっくりします。
自分のことは自分でやるとトレーニングされているので、虐待とかではなく当たり前におこなわれます。
それもあり、ここの村の子供達は仕事の多いお母さんをよく助けます。
小学高学年くらいになったら、家族全員が食べた食器から鍋から全てをチャパカルに持っていき洗います。
テキパキと毎食後の食器洗いくらいはやるし、家の中を掃いたりも当たり前。

正直自分がそんな年代の時にこんなに家のことをやったことなかったので、ここの村の子供達には脱帽です。。。
子供達は文句も言わないし、みんなハッピーに手伝っていて、しかもしっかり勉強もしているので、見たことのない家族のあり方に驚きを隠せません。

この田舎暮らしではガツガツとお金は追ってはないけれど、やることはかなりあります。

牛やヤギを飼っていますから、草を食べさせに歩かせますし、またそれ以外の時間に縛っておいている時にも食べさせる草を用意しなくてはなりませんから、毎日せっせと手で草を刈って家に運びそれをさらに牛が食べやすくなるよう、ギロチン?のような道具で小さく切るんです。

毎日このように草を刈っては頭に乗せて、4往復している時もあります。
写真はここの奥さん。

小さく切る前にもう待ちきれなくて食べ始めているのが、ここの子ヤギ。
私が来た後に生まれているので、とても慣れています。


晴れの日は麦を屋上に干したりと(床に広げて害虫を追い払う)
結構な仕事量ですよ。
その上、家の掃除に食事の支度。
毎日そんな感じであっという間に1日が終わります。

ただここでお米と麦を育てて、売っただけでは1年に3万円程度にしかなりませんから、やはりさすがにそれでは不十分。

なので夫はデリーや遠くに出稼ぎに行きます。
(娘の結婚の持参金を貯めなければ、嫁に出せないので大変です)

妻たちはここに嫁いだというのもあり、ここで生き抜くことに腹を括ってますから強い!喧嘩して負けるような女はいないってくらい、 村の女は半端じゃなく強いです。

みんなそれぞれ仲が良い家族がいくつかあって、メラ(お祭りごと)があるときは、みんなで一緒に食事を作ったりと楽しくやっています。

物をたくさん所有していると、失いたくないという執着心が出てしまいますが、ここまで何も所有していないと、失う恐れも殆どないでしょう。

多く、家も土壁と竹で出来ているので、万が一火事が起きたとしても、竹を切って持ってきて、泥をつけて藁を乗せれば家は完成。

盗まれる心配をするほど物もないので、家にドアが無いところも多い。。。

これは隣のサロージュ(このうちの親戚)のお家。
土壁にトタン屋根の部屋はドアが無い。

この村の人口は500人って言ってたかな。
全員の顔を知っているので、盗むような人もいないんですよ。
あるとしたら、小さな子供がいたずらで何か持って行っちゃったくらいなもん。

ハルヒ村。バルコニーからはこんな感じ。
東側に1本道があり、そこに家屋が並びます。
北、南、西は全部田んぼ。

近所の子供が来た。
すごく可愛い。

この村では、何も大して心配することもなく、所有物もあまりないけど平穏に暮らすしあわせがあります。


生きること 死ぬこと

グルジが他界してから、死についてよく考えさせられるようになりました。

死までの生き様や、死後人生を振り返ってどのように思うかなど。

最近グルジがこんな言葉を言っていました。

「君は全部やってくれた。私はやり残したことや悔いが何一つ残っていない」と。。。

これはある意味、すごい一言です。

あれだけ肉体的には苦しい思いでの他界となってしまいましたが、グルジは突然の全身麻痺になる直前に「本がちゃんと4冊出版された。これで死んでも悔いはない!」と本当に嬉しそうに言っていたんです。

あのときは、こんな目の前に死が迫っているなんて思いもしなかったので、正直その言葉をそのまま受け入れ「そこまで嬉しいんだ!」と私も喜んでいたのです。

ですが確かに死までの1ヶ月半は本当に苦しかったと思いますが、でも今思うと肉体的には本当に辛かったけれど、死後に何も悔いが残ってないと言い切れる生き方が出来たなんて本当に素晴らしい人生だったなと。

私はいつも人と関わるときに、自分が死ぬときに悔いが残らないよう行動するように心がけているんです。
それは私だけが一方的に努力できることですが。

グルジはよく「生きたくても生きれない人もいる、死にたくても死ねない人もいる。その時がきたら、どうであれ逝くんだよ。それが人生だ」と。

いつ突然人間は死ぬかわからない。

だからこそグルジが死を迎えるときに、やり残したことや後悔がないような満たされた死に方が出来たら最高だと思ってました。

こんなにも早く死が来るとは思っていませんでしたが、でもそれは私の理想であってそのように思えるかどうかは本人の色々な人生の側面によりますから私がお膳立てで出来ることじゃないのはわかっています。

だからこそ、グルジがそのように人生を終えられたことを本当に嬉しく思います。

私はただ自分が後悔しないように全力を尽くすことだけしか出来ませんが、理想通りになれたことは本当に心から嬉しい。

グルジの肉体がなくなってしまった寂しさはありますが、グルジの魂がとても穏やかであるのを感じます。

私は今や多く瞑想だけで過ごしていますが、同時に色々な深遠な気づきがもたらされ、その気づきとともに、グルジも気づきがもたらされているようです。


死に際は苦痛であったのは確かですが、でも最終的に悔いのない人生で愛弟子が最後の最後までシャワーとトイレ以外にそばを離れたことがないほど、しっかりとそばに付き添って、そして私の腕の中で、距離はあってもお弟子さん、家族、友人の大きな愛に包まれて息を引き取ったのは、ある意味幸せな逝き方だったと思うんです。

辛いのは肉体だけで、今はその肉体もないから痛みの辛さは終わり。

残るは、どのように生きた人生だったのかです。

死んだときに後悔なく生きれたと言える人がどのくらいいるかはわかりませんが、すごく少ないんじゃないかと思います。

グルジは他界する数ヶ月前に、「もし君が先に死んだら、君の彫像を造って毎日崇拝する」なんて言ってたんです。

私は笑って「あのさ、私が先に死んだらグルジは終わり。私が死んだ後でグルジがその後長生き出来ると思う?私ほどグルジをケアできる人がこの世にいるとは思えない。お金を出してくれる人はいると思うけど、ここまで全部心からケアしてくれる人なんていないから、私が死んだらグルジはすぐ死ぬって。」なんてジョークっぽく言ってたんです。

でもこれは内心かなり本気で言ってました。

このグルジの言葉の裏は、言うまでもなく「君がここまでやってくれたことに感謝している」って意味なんですけどね。

でもグルジより私が先に逝くことは絶対にないのはわかってました。

それは年齢とかではなく、もしその時がきたら、私がグルジを絶対に最後まで幸せに包んであの世に送りたいと思っていたから。。。

グルジは時々「こんなに素晴らしい人が自分のそばにいてくれるなんて、私はよほど前世で徳を積んだに違いない!」なんて言ってましたが

本当にその通りなんです。

わたしとは前世で何度も何度も関わっていて、その中でも1度本当に助けてもらったこともありました。

なので今世では恩返しなんです。

だからグルジにはマッチ一本買わせたこともないし、最後に満たされた人生に仕上げることができて本当に私も恩返しができた思いでいっぱいです。




そういえば、生前グルジがこんなこと言っていました。

「君もね、自分の死がくる時はちゃんとわかるよ。」

これを言われた時は、すっごく嬉しかったです。
ふざけて言っているんじゃないんです。

グルジが自分の死をわかっていたように、私も自分の死が近づいたとき自分でそれが認識できる。
私の予想だと、2年くらい前になったらはっきりとわかる気がします。

そんな素晴らしいことないですよね。

そんなことない?怖い?

グルジが他界したからか、死に対して嫌だとか怖いとは全然思わなくなりました。

ただ理想としては、マハサマディーで逝きたい!

これは瞑想状態で自分でコントロールしてあの世に行くという方法だけれど、これが私の理想の人生の終え方です。

とにかくやれることを出来るだけやって、後悔のないように生きなきゃ!

皆さんも、後悔のないように生き抜いてください!





楽しみを見つける





今年のモンスーンはやや雨が少なめなんだとか。

前半はかなり降りましたが、ここ数週間は雨が少なめで5日間くらい降らなかったりしたのでちょっと稲に水が足りないなんて地元の人は言ってました。

私の住ませてもらっている2階はだだっ広い屋上の端っこに2部屋だけ作られているので、部屋を出ると屋上全開で眺めはとてもいいです。

北のほうには池があります。この池はマカナファーム。
マカナという植物があり泥の中でタネをつくるのですが、そのタネを収穫し、工場へ出荷しパフにします。

魚がいるので釣りをしている人もいます。
葉っぱがアマゾンにでもありそうな形で、すごくゴツゴツした表面の大きな葉っぱであるのに対して、花はこれだけ?と思わせるほど小さく質素だけれど、とても可愛らしい。

この花の下に段々と種ができて引っ張りあげると。。。

あんな質素でかわいい小さな花が、こんなイカツイすごいヤツに変容する。。。

彼の名前はインダージート
近所の男の子で、マカナを見せてくれました。
このトゲトゲを剥くと、こんなミカンのような容姿になり、この中に茶色い種がたくさん入っています。

このタネは生でも食べれて、地元の人は生で食べ慣れているので生が好きらしいです。
私も一つ味見してみましたが、大して味はなくグニュっとクリームみたいな感じのものが入っていて、「うわ。。。なんか出てきた。。。」という若干気持ち悪く、カリッとするのだろうという期待と裏腹に来られたのも衝撃的でした。
食感的にも、味としてもそんなに美味しいものじゃないです。

まぁ食べれないほど不味くはないですが、また食べたいとは思わない。。。というのが正直なところ。

これが工場でパフとなり、このようなマカナに仕上がるのだそう。

それが店頭に並ぶのだけど、このパフはそのまま食べれなくて、ゆっくりと炒ってカリカリにするか、またはミルクと砂糖で煮込んで食べます。
スナックとしてはとてもヘルシーで、炒るととても美味しい。
これは私の住む屋上からの今の眺めで、すっかり全部収穫され何もなくなりました。

マカナはグルジが大好きだったので、よく買って食べてましたが植物を見るのは初めてだったので感動。


でもどこを歩いても、何を見ても、グルジと一緒に感動を分かち合いたかった。。。と思ってしまう。。。

グルジも一緒に見ているのは知っていても、肉体があってダイレクトに言葉で分かち合えないのはやっぱり寂しい。

グルジがいないから楽しさや喜びをフルで感じない。。。というのは本当に現実なのですが、でも不幸せには感じてません。

グルジに対するこれまでの感謝の思いがとても大きいのと、今でもまだそばにいてくれているのを知っていますし、ここまで生きてきた過程を振り返ってもこの7年間グルジが与えてくれたものは本当に大きくて、感謝の思いでいっぱいです。

だから寂しさはあるけど、不幸ではないです。

こんな状況でも、小さなひとつひとつに喜びを感じることもたくさんあります。

全然言語が通じなくてもみんな一生懸命話しかけてくれたり、小さなことでも手助けしてくれたり。。。庭にグアバができたって持ってきてくれたり。

小さな嬉しいことがたくさんあって、大きな感謝の思いになるのがわかる。

だからこんなに悲しくても乗り越える勇気に変わっていく。。。

グルジがいないから、もう楽しくない。。。楽しめない。。。じゃ完全に依存。
私の余生は一生不幸になるだけ。

でも楽しみというのは自分でひとつひとつ見つけていくものでもありますよね。
肉体はいずれなくなるもの。
もうなくなってしまったものは、どうあがいても取り戻せないのですから。。。

小さなこと何でもいいから見つけていく。

今日はグルジのために焼いたパンがとても美味しくできた!
とか
池で楽しそうに泳ぐ人々を鑑賞したとか

もうこんな小さなことを拾い集めては楽しさや喜びに感じたり。

そして心の中でグルジとシェアするんです。
あ、でも声に出してグルジと話してるときもあります(笑
他の人が見たら怖いけど!

ちなみに、グルジが大好きだったチャバッタのパン。
本当に美味しくできた。
形もいびつでクープが全然うまく入ってなく綺麗に割れてないけど。。。

普段は全粒粉パンを食べますが、時々白い小麦粉だけのこのチャバッタを作ります。
このオリーブオイルと塩とイーストだけで作るチャバッタがパンの中で一番好きかも!?

最後にグルジの写真をあげてみようかな。
アッサムのカマッキャでボートに乗り寺院参拝。





おばあちゃんにヒーリング

ここの家族の中で一番好きなのがダディ。(ダディというと英語でお父さんですが、ヒンディーではおばあちゃん)

プリヤンカ達のおばあちゃんで、ラデ(お弟子さん)のお母さんです。

もう10年近く前から精神に異常をきたしたらしく、ずっと薬を摂りつづけているのだそう。

その薬がないと、何がなんだかわからなくなってしまう状況。

叫びまくったり、大声で歌を歌ったり、あの人が私のことをぶん殴ってきたー!と言ったり。
ですが薬を飲めば安定して、普通に会話が出来ます。

そんなふうになってしまったからか、家族の誰からも邪険扱い。
あまりに家族が酷い話し方をするので、これは良くない。。。と思いラデに電話してこのような扱いをやめるように伝えてと話しました。

突然優しくしなくてはならないとは言いませんが、せめて普通に話し、荒々しく話すのはやめるようにと。。。

おかしくなっているのは確かですがみんなの父親を育てた母親なんですから、孫達もせめて普通に話すくらいのリスペクトを持たないとならないでしょう。

それ以来怒鳴りつけるような話し方は聞かなくなりました。
(私の前だけかもしれませんが。。。)

おばあちゃんは私をデリーのアパートで見かけたことがあるとかで、「マダムはヒーリングパワーがあるから、早く頭に手をのせてもらいたい。。。」とグルジが生前の頃からずっと言っていたらしいです。

ですがグルジが他界してしまい、私の精神状況はそれどころじゃなった。。。

こんなだったら、一生ヒーリングなんて出来ないと思ったほどでしたから。

以前にも書きましたがユーカリの木にもたれて4時間経過していた経験で一気に50%癒され、「ご飯だから帰ってきて」と連絡をもらった直後におばあちゃんがガチ(マンゴーファーム)に来たんです。

そして「あのねぇ、こことここが痛くてねぇ。。。」とヒーリングして欲しいと。

この時はユーカリの木に充電され、気分が驚くほどましになっていて、ヒーリング出来そう!と奇跡的に思えたんです。

やってみると、おばあちゃん「あー良くなった。下腹部のところからなんかが動き出して、胸のところまで上がってきて、そこから出て行ったよ」と。

これを聞いた時は驚きました。

私が見ていたエネルギーの動きと同じだったので、おばあちゃんはものすごく感度が良いらしい。

何よりもヒーリングが出来るまで自分が回復できたことが奇跡ですし、ヒーリングが出来るというだけで、やっぱり生きていてよかったと思えました。

その後
「ヒーリングやってもらったからすごく調子がいいよ」と家族にも言っているらしいですが、もうすでに脳の神経がおかしくなって長いのもあり、その上お年というのもあり、一つ良くなっては、また別の何かが痛みを出したりを繰り返しているところもありますが。

まぁこの状況で長いので悪化させないよううまく付き合うしかなさそうな感じです。

おばあちゃんとは大半、毎日一緒にお寺を参拝します。

この道を真っ直ぐ行くとお寺に着きますが、草を食べ終えた水牛達がお家に帰る時間帯でもあり、ぞろぞろとやってきます。

おばあちゃんは早朝と夕方参拝。

私は朝はルーティンで忙しいので夕方だけ。

夕方5時過ぎに下に降りて「お寺行こう!」というと「うーん。今日は足が痛いから。。。行かない」とか言う時もあるのですが、「え?行かないの?そう。じゃ私行ってくる」と言って歩き出すと

「待ってー!やっぱり行くー!」と後から来るのがおばあちゃん。

ここが小さなお寺ですが、サントシ寺

サントシ神

参拝後一休みのおばあちゃん

今日は夕飯何作るの?といつも気さくで、私が理解してなくても構わず話し続ける可愛いおばあちゃんで、ベストフレンドです(笑

そして私たちが歩き出すと、一緒に来るのがこの子たち。

いつもこの家の前でゴロンとしていて、お隣の飼い犬なんだと思っていたら野良犬らしい。

一度、ご飯を作りすぎてしまった時「丁度いい、犬にあげよう」とあげてみたら、ものすごく嬉しそうに2、3日食べてなかったような食べ方をしていたので、相当お腹減ってたんだなと思い、朝晩餌をあげることにしました。

この子は雌犬。雄犬のワイフ。

雌犬の方は別のおうちでいつもご飯をもらっているようです。

みんなそれぞれご飯おねだりテリトリーがあるらしい。



毎日グルジのことを想いグルジのソウルは私と一緒ですが、グルジが私のブログに登場しなくなってしまうのは寂しいので、以前の写真をちょこっとずつ載せてみようかな。
グルジにメッセージを送りたい方は祈りを込めてその想いを送ってみてください。
グルジはとても感度が良いので、キャッチしてくれるはずです!

2019年 2月 アッサム


ムーンフェスティバル

今日もハルヒ村は暑いです。

39度。

日本でも40度も行っているところがあったり、インドも日本も変わらなくなってきているってかなり怖いですよね。。。

今日は電気は来ているのですが、電力が弱くエアコンがつくほどの電圧がないため残念ながら汗ダクダクで何も出来ません。

エアコンつけても5秒で止まってしまい、送風に切り替わるだけ。

前述しましたが、電気が来たのが3年前でその前まではケロシンランプで暮らしていたそうですから、こんな電気の量でもないよりずっとマシなんです。

汗をかきすぎて、ベッドで横になって読書もできないし、瞑想どころか熱中症で意識が飛んじゃいそう。。。

グルジがいなくなってから、ご飯も一人になりました。(私がスパイシーでオイリーでソルティーなものが好きであれば下の家族が私の分も一緒に作ってくれるのですが、彼らのご飯は私には食べれないので自炊してます。以前彼らの食事を食べたらスパイシー過ぎてお腹壊しました)

が実のところ、グルジに毎日食事を出しています。

死者って本当に食べるの?と思いますが、まだ他界してそんなに長い年月が経っていない場合食べます。

食べ物の「気」を食べるんです。

グルジの場合は病死なので、最後12日間は食べることも飲むことも出来なくなり、他界した直後は普通に動けるようにはなっていましたが、まだ具合の悪い記憶が鮮明すぎて身体(幽体)が弱っているようでした。
それもあり暫く食べ物を出し元気づけました。

本当にびっくりするぐらい、味がわかるんです。

「ん。。。ちょっと塩が足りない」とか言われた時があって、「え?そんなはずはない」と思って食べてみたら、全然塩が足りてなくて驚いたことがありました。

そんなこともあり、あまり一人で食べてる感がないのもあります。
ついついグルジの好きなもの作っちゃうし。

死者は四九日で成仏されると言われていますが、(もちろんその人の魂のコンディションによりますが)グルジは行かずに引きとどまってくれています。。。

私はこんな大聖者を上がらせずにいるのが本当に心苦しくて、でもグルジの魂には一緒にいて欲しいというジレンマで苦しんでいました。

ですがグルジは「私を誰だと思っているんだ!」と一喝。

成仏出来ないわけではなく、今は暫く助けることを選択しているだけだから大丈夫だと。。。

成仏出来ない理由はいくつもあると思いますが、死んだことが認識できない、仕事などのポジションに執着している、家族が心配、恨みつらみなど色々あると思います。

グルジの場合はもはや補助霊のようになっていて、本当に助けてくれているのがわかります。考え方が間違っていたり、自暴自棄になっていたときなんかも、散々怒られました。。。。
まぁ生前と変わらないのですが。

特にここに荷物を全て持ってきて、本当にここに引越しをすべきかどうかもかなり悩みましたし、(ここも前述しましたが、ど田舎すぎてここで暮らしたいとは思えなかった)引っ越して来てからもやっぱり逃げ出したいと思ったことも何度もあるのが正直なところ。。。

ですが今は完全に諦めというか、受け入れというか、降伏というか。。。

もうここに滞在する以外に道がないというか。。。

もちろん、私の自由といえば自由ですが、コロナの制限もありますし、もし新たな場所に移動してしまっても、目標がブレるからダメだと守護霊にも言われました。
(目標とはグルジのお寺を建てることと、家探しなんかをするとなかなか落ち着かず時間ばかりかかって修行がどんどん遅れる)

ということで、ここで修行を積めと言われているので完全に受け入れました。
好きか嫌いかは別として受け入れなくてはならないことは人生においてありますからね。
好きじゃなくてもそれが最善なら受け入れるしかない!

もう少しで涼しくなるので、そうしたらまた楽しみ方も変わってくると思います。



さて、
インドはよくわからないフェスティバルがたくさんあります。

今週は〇〇フェスティバルで再来週はまた別のフェスティバルで、といった具合でこの2ヶ月間は特にフェスティバル月間らしいです。

先日はお月様を尊ぶフェスティバルとかで、特別料理を作ります。

通常この家族の作るものは食べないのですが、今回は「フェスティバルだから夕食作らないで!」と言われ、ちょっと渋々ですが「オッケー」と受け入れました。

でもみんな私が塩辛いもの、スパイシーなもの、オイリーなものは食べないのを知っているので、そういったものは出来るだけ避けてくれてます。

ちなみにこの家の作るものはお茶一杯も飲めない。。。
みなさんご存知のチャイ(ミルクティー)も茶葉を大量に入れて煮込み苦くて飲めないほど煮出し、どっさり砂糖を入れて。。。といった具合で、ショットグラスのような小さなカップで飲むのですが、そんな少量でも強すぎて膀胱がおかしくなり、3日間頻尿になってしまった。。。(笑
(普通のミルクティーを飲んでも全く問題はないです)

通常長女のプリヤンカが食事を作りますが、ここの奥さんが作る料理なんて、塩の量が致死量に達してますし。
大げさじゃないんです。「これ食べれる人いるの?」って聞いたら「う。。。うん。しょっぱいよね、みんな一口くらいは食べてる」なんて言ってましたから。

唐辛子もオイルも塩も過激なんてもんじゃない。
村の人たちは毎日が肉体労働なので、とにかく濃い味が好きなんだそう。

私はフェスティバルの夕食の足しになるようなものは提供できないので、バナナパウンドケーキを焼いて差し上げました。
焼いてる途中で電気が来なくなり、1時間後にやっと電気が戻って焼き直し。。。(涙
少し固くなっちゃったけど、まぁなんとか焼けた。

前日ちょうどバナナ屋がトラックで来たのでたくさん買っておきました。
フェスティバルの時は売れるので、このようにトラックで売りにくるらしい。

夕方このように地べたに座って料理が始まりました。
キッチンもありますが、揚げ物などをする時はガスを多く使ってしまうので薪で調理します。

右がこの家の奥さん
左、長女のプリヤンカ

夜このような料理が登場。
ミルク粥とヨーグルト、フルーツと甘いスナックとプリと言う揚げたチャパティ。

右からプリヤンカ(長女)真ん中クシュブ(次女)
左は隣に住むこの家族の親戚で二ラージュ
二家族分はさすがに食べれないので、どれも少しずつ両家からもらいました。

クシュブが持っているのがプリですが、これは美味しいのですが、油ひたひたで。。。(笑
他も美味しかったです。
ミルクや油は高いので、こういったものを家族全員で食べるとなるとやはりフェスティバルのときになるみたいです。

用がない限りあまり話はしませんが(ガールズはとてもシャイ!)私を気遣ってくれているのはとても嬉しいです。


ハルヒ村の生活

今月いっぱいくらいでモンスーンも終焉となるようですが、まだラストスパートで嵐がきたり、晴天になったりを繰り返しています。

先月あたりから田植えが始まり、田植えの殆どが終わったと思ったら、これです!
私の住む2階からの景色です。

まるで大洪水。。。

今はこの水もすっかり抜けて、稲がフサフサと揺れています。
(右側の水は池です)

地元の人は、「これは毎年のことで全然普通。あまり水が引かないと稲がダメになっちゃうけど、大半は水に浸かった状態で強くなるから大丈夫」と。。。

この土地のことも、田んぼや家畜のことも何も知らないので驚くことばかりです。

この3ヶ月間はどうにかグルジがいなくなった、この心の状態を回復させるプロセスだけでした。

田んぼと小さなガチ(植林地)があるだけの村で、見たことのない虫や鳥や生活様式なんかも新鮮で、本当にそんな驚きがいくらか気を紛らわせてくれました。

ガチに通っていた頃(6月いっぱいまでで、その後は本格的なモンスーンとなり行けなくなりました)突如こんなものが現れたんです。

前日までは無かったのに、突如現れた竹のテーブル。

デリーに住むダダジに電話しました。

写真を撮って送り「なんか突然竹のテーブルが設置されてるんだけど、これまさか遺体を運ぶやつじゃないよね。。。」と。

この国では竹で担架を作り遺体を運ぶのですが、まだ葬儀を終えたばかりの私には、その記憶が強く、思わずそっちの質問をしてしまった。

ダダジは「違う違う!それはマチャンと言って、元々はマンゴー泥棒の見張り番が座るための台なんだよ。ユキが瞑想出来るようにサロージュたちが昨日作ったんだ。その台に座って瞑想するといいよ」と。

いつもは竹の笹を敷き詰めて座っていたのですが、座り心地が悪いのを気遣って作ってくれたようです。

これは本当に嬉しかった。。。

ここの家の人はゴザも用意してくれ、快適に座れるようになってました。

何気に私がそこで瞑想していると本当に人々がマンゴーを盗めないので、どうやら私は本当にマンゴー泥棒の見張り番になってました(笑

精神的に困憊していた私には、こういうケアが本当にありがたく毎日ここに通っていました。

村人はいつも「今日もガチかぁ?行っといでぇ」と話しかけてくれます。

先月水に浸かった稲はあっという間にグングンと成長し、早いところはもう稲穂が出来ています。

稲刈りもそんなに遠くなさそうです。
ちなみにレンガの長い家が私が滞在させてもらっているラデのお家。
2階の右が白く塗られていますが、そこがキッチン。
2階には私が住ませてもらっている2部屋だけです。
(家具も全部白で、白が好きなのを知っていてわざわざ私のために白く塗ってくれていた。。。)

ここの村では牛と水牛とヤギがメインの家畜で水牛の方が人気なのか、水牛の方がずっと多いようです。
大体一家に牛は2、3頭で、ものすごく可愛がっているんです。
牛もすごく馴れているし。

ここの村では毎日牛を歩かせ草を食べさせます。
小さい子供たちはこのように水牛に乗って、お散歩させます。
(何度見ても映画Whale rider を彷彿させる。。。)

ここも子牛が生まれました。

すごくかわいい。
産まれて数時間後にはもう立ち上がっていました。

牛やヤギの家畜がこんなに馴れるものとは知らなかったのですが、餌をやらなくても馴れるのかなと、毎日首の下をなでていたら、懐いて今では近くに行くと子牛も来るようになりました。

今だからこうして書くことすら出来ますが、当時は何か書こうなんて思っただけで感情に押しつぶされそうになり、やっぱりまだ無理だ。。。と諦めていましたが、今こうして書くことが出来ることが奇跡のようにすら感じます。

グルジに見守られている安心感もあると思います。。。

そして長らく更新してないことに、何かあったのではとご心配のメールをくださった方々にも心から感謝いたします。








立ち直りのプロセス

グルジのいない村の生活にも少しずつ慣れ始めようとしています。

心に空いた大きな穴は、まだ完全に埋まることはないですが、でもグルジの魂とは繋がっているので肉体がなくなったという寂しさはどうにもなりませんが、グルジがいなくなったとは全く感じてないのは大きな救いでもあります。

霊的に見たり感じたり聞き取る能力がなかったら、立ち直るのにどれくらいの月日または年月がかかったのだろうと思いました。

実際に5年も経ってもまだ涙が止まらないという方にもあったことがありました。

その心の苦しみはある程度共感したり想像することができても、やはりその人本人にしかわからない苦しみがあります。

グルジが亡くなってからの1ヶ月間は目が覚めるのも怖いほどの悲しみと苦しみでした。目が覚めた瞬間グルジはもういないんだという現実と向き合わなくてはならず、毎日朝4時に目が覚めた瞬間から涙が溢れこのまま目が覚めなけれよかったのに。。。と胸が押しつぶされる毎日で、情けない話ですがこんな地獄を毎日あじわうくらいなら生きてなくていいとすら思ったほどでした。

当時使わせてもらっていた一階の部屋は家の中でも一番いい部屋を与えてもらっていました。この家の床はまだ土です。。。

この村で床にタイルを張っている家なんかはありません。。。

村民の家は、大半レンガも使っていない土壁です。

そんな一番いい部屋でもちょっとジメッとしていて、正直心地がいいとは感じられませんでした。。。

もちろんお世話になっているのでそんな不満は口が裂けても言いませんが。

とにかく虫が多く、ジメッとした部屋には寝る以外にはあまり居たくなかったのもあり、シャワーを浴びて、洗濯は手洗いでさっさと終わらせ、どこか外で瞑想する場所をいつも探していました。

近くに小さなお寺があるのですが、そこに池があり池の淵に座ってみたり。。。

人もちょこちょこ来るのであまり落ち着かず。。。

でもそんな時、牛飼いのおじさんが牛を連れてやって来たのですが
池の淵で座って涙を流している私に

「泣くな!全ての人に起こることなんだ」

そう一言。

もうグルジが他界してしまったことは、この小さな村では全員知っていること。

その言葉にハッとさせられました。

その後もまた別のおじさんが、「全ての人に起こることなんだ。神のみが知ることだ。呼ばれれば行くんだよ」

なんかそんな強気の悲しみに対する同情もない、ただ当たり前の現実の概念というか、真実を突きつけられて

「こういう言葉が変な慰めよりも一番ありがたい。。。」とすら思いました。

「死」というものが、ただ単に当たり前にいつか誰にでも起きることで、だから受け入れる以外に何もできない。

インド人の村人はそうやって、いつか自分にも自分の家族にも突然か、知ってか、やってくる「死」に対して腹を括っているんだなと思いました。

生前グルジがよく「お前はシティーで暮らすインド人しか知らない。金やポジションだけ追っているようなインド人しか会ってない。村に入ってみればわかる。村の人たちは何も持ってないが中にはすごい霊性の高い、理解の深い人たちがいるんだ。」そう言っていました。

グルジが言っているのはこういうことだったんだと思いました。

が正直こんな形で強いられる以外にここまで何もない村には到底住めなかったというのが現実です。

ある時、お寺にある池も瞑想には適していないし、どこか良いところないかな。。。静かで一人になれるけど、安全な場所。。。。

と歩いていたら、突然ここのうちの奥さんと、向かいの娘さんのジャンキー(22歳の女の子)が後ろからついて来ていました。
(ちなみにジャンキーは英語ではクズとか麻薬中毒者の意味合いになりますが、インドでは女神の名前でとても素敵な名前なんです)

まだこの土地を全く知らないので、心配してついて来てたみたいです。

そして二人が「あっちのガチ見てみる?」と。

「ガチ」というのは森とか植林地を意味し、二人の言うガチとはここの家が所有する土地でマンゴーの木がたくさん植わっている小さな土地でした。

家から1キロくらいでしょうか。

ついて行くと、とても静かで平穏なエネルギーがあり、瞬時に「ここだ!」と思いました。

それからというもの、毎日毎日朝からガチへ行き、瞑想を試みていました。

正直悲しみが大きすぎてまともに瞑想なんて出来ないのが現実なのですが。。。

瞑想しているかのようで、殆ど涙がドッとこぼれているだけで、ただ部屋にいるよりかはマシだといったところでした。

それでもガチにいる間、天界から山ほどメッセージや色々な説明まで受けました。

なぜこのタイミングでこんなことが起きたのかや、とにかく「なぜ、なぜ、なぜ」と大量のなぜが悲しみ膨らませ、頭が割れてしまいそうでしたが、その一つ一つが説明され、ほぐされ、理解と落ち着きを取り戻す助けとなったのは確かです。

ですがガタガタに崩れたエネルギーを回復させる術はない状態でした。。。
もはや自分のエネルギーではどうにも出来ない。

もうこんなだったら生きていなくていい。。。とばかり思う日々で、情けないのですが本当に精神状態の限界に達していたと思います。

マンゴーの木の下に座っていましたが、マンゴーの木はあまり自分にマッチするエネルギーでもないし。。。

それでも部屋にいるよりかはずっと涼しく、爽やかな風が吹くのでガチが一番居心地がいい場所でした。

ある日ガチの端っこに植えてあるユーカリの木の下に座ってみることにしました。

ユーカリの幹に寄り掛かり、いつまで経ってもこの苦しみは変わらない。。。。そう思っていたら、なんか不思議な感覚になってきた。。。。

なんだろう、この感覚。すごく懐かしくて、よく知っている感覚。。。

ふと、これはオーストラリアのエネルギーだ!とわかりました。

あの、軽く陽気な感覚。オーストラリアそのもののエネルギー。

オーストラリアの陽気なエネルギーはユーカリが発しているエネルギーでもあるんだ!と驚きを隠せませんでした。
(私はオーストラリアに13年住んでいました)

あの陽気で軽い感覚が本当に好きだった。

まさかインドのこの村であの感覚をまた味わえるなんて夢のようでした。

そしてただただ、じんわりとこのユーカリの持つ強く明るく陽気な(当時の私の持つエネルギーとは真逆の)エネルギーと融合し、まるで充電器が差し込まれたような状態になり、放心状態になっていたんです。

時間がわからなくなりただスポーンと吹っ飛んだかのような、気分の良い状態で気がついたら4時間が経っていました。

それも「ご飯だから帰ってきて!」と携帯が鳴ったので放心状態から目が覚めたのですが、もし連絡がなかったらあのままさらに数時間はずーっと座っていたんじゃないかと思います。

まさかユーカリの大木に癒して貰えるとは。。。

世の中ってすごい。。。本当に上手く出来ていると思いました。

それ以来目が覚めた瞬間から涙が止まらないほどの胸の苦しみがおさまりました。

ここの奥さんとジャンキーが私をガチに連れてきてくれたのも、神のお導きに違いない。。。そう思いました。

もう涙を流さなくなったわけではないのですが、一気に50%は回復したかのような感じでした。
奇跡としか思えないほど苦しみが緩和しました。

ですがまだまだです。。。

ここからは本当に瞑想と浄化の日々。

瞑想も浄化も出来ない時は読書。

この2ヶ月間はモンスーンで嵐もすごく、ガチには7月あたまから行ってません。

というのも、ガチは盛り土になっているのですが、モンスーンの時期はその周りが全て浸水し、離れ小島状態。

モンスーンが終わるまではガチには行けそうもありません。

ですが丁度7月の頭から2階の部屋が完成し、1階とは比べものにならないほどマシで(折角建築してくれたので、とても良いと書くべきなのでしょうが、雨が降ると窓から滝のように水が入ってくるし、どこに隙間あるのかわからないのですが、小虫が大量に入ってきて夜は眠れないし、晴れると天井が熱されて体感温度50度みたいな状態で、時期的にもかなり過酷ですが)床もコンクリートですし(土じゃない!)これでもこの村では5スターホテル!

それでもジメジメとした一階よりかははるかにマシで、一歩ずつ前進してグルジのソウルと共に頑張っています。

モンスーンももう今月いっぱいで終わりのようです。




訃報

大変ご無沙汰しております。

世界中でコロナが蔓延する中、安全にお過ごしでしょうか?

日本ではコロナ感染者がまた急増してしまったり、言葉を失うほどの洪水があちこちであったりとニュースで見ていました。

洪水被害にあわれた地域の皆さんが1日も早く復旧復興し、穏やかに暮らせる日が戻るようお祈りしています。

数ヶ月ブログの更新がなかったのでご心配してくださった方々、本当に申し訳ありません。

実は3月末に最後のブログを更新した数日後、グルジが救急搬送になり5月までずっと病院にいました。

そして5月3日グルジは他界しました。

癌です。

人生で一番辛い経験となりました。

2013年にネパールのアシュラムで出会い、グルジに教えを請い、たくさんあらゆる方面で学ばせてもらい、同時にグルジに献身的に尽くしてきました。

生活にかかる費用は全て私が持つので、どうか教えてくださいと懇願し、忙しいから来年にでもまた来てくれと断られても引き下がらず頼んだのが始まりでした。

こんなにも純粋で綺麗なハートを持ち、霊性が高く、天才科学者のようなオーラを放った人には会ったことがなかったので、やっと天界がこんなに素晴らしい師匠に巡り会わせてくれたと心から喜んでいたのに。。。

ですがグルジは何年も前からよく「今世、私の人生は短い。だから下手なことすると私が死んだ時後悔するぞ」と言っていましたが、行者はこういうジョークを言わないものなんです。

行者はわかっているんです。自分の人生の流れを。。。

私はその流れをどうにか抗おうと、どうにか方向を変えれないかといつも祈っていました。

「グルジの死が近くなったら、私の命をあげる。天界に私の命と引き換えにグルジを生きのばしてもらえるようにするから大丈夫!」と言ってました。

これまでだって山ほど輪廻転生を繰り返し、死んでは生まれ、その一度の人生なんて宇宙の時間で見たら一秒で終わるような一瞬のこと。
その一度の人生をグルジにあげることなんてなんてことない。

そう言ってました。

ですがそんな願いも虚しくグルジは逝ってしまいました。

こんなに素晴らしい行者との時間を毎日奇跡のようにすら感じていました。

毎日一緒に夕方の買い物に出て、料理をするにもいつも手伝ってくれたり、 毎日美味しいとご飯を食べてくれ、いろいろな深い話題をいつも話してくれ、間違っているときは指摘してくれ、いつでも人々に愛情深く、惜しみなく必要な人には教えていました。

裏表のない性格なので、どんな間違いも反論の余地がなくストレートに指摘することが逆に愛されてました。

グルジは私の弱さを見抜いているので、よく「私がいなくても、お前が二度と変な人間に絡まって方向性が狂わないように強化しなくてはならない。これは私の役割だ。」そう言ってゆっくりゆっくりといろいろなことを教えてくれ、私を根底から強くするようにいつも働きかけてくれていました。

その時には「私がいなくても」という言葉が、死別を意味しているなんて思いもしませんでした。

それから数年が経ち「お前はもうだいぶ強くなったな。私がいなくても決して変な人間に絡まったり方向性を間違えることはないだろう」そう言っていたのを思い出しました。

今思うと、グルジは自分が逝ってしまう前に心配しなくてもいいくらい私を根底から強くすることをここまで意識してくれていたんだと、グルジが他界してからその想いの深さに気づかされました。

2017年、ネパールでビザの更新をしに行ったときのこと、大使館で「あなたはもう4年間もビザを取り続けています。これ以上ビザを発行することはできません。長期的にまだ滞在したいということなら、配偶者ビザに切り替えるか、または自国に帰ってください。配偶者ビザが一番早いですし、他の国からインドビザを取得しようとしても無駄です。もう取れません。もうインドには入ることができません」と。。。

途方にくれた私たちは、配偶者ビザに切り替えるしかないと決意し、結婚という形をとりました。

私は子供を作って家族を持つことが今世ではタスクにないので、結婚には大きな意味を持ちません。

一般的に発展途上国の会社勤めもしない行者と結婚をしたと報告して「おめでとう!」と喜ぶ人はほぼいないのではないかと思うのです。インドですらいませんから。

それもあり、母親には書類が必要になるので伝えましたが母以外には家族にも友人知人にも伝えませんでした。

もし結婚相手探しの旅ならば、間違いなく先進国に行きました。

ですが私の目的は行を積むこと。自分よりもずっと霊性の高い師に出会えることを願っていた旅の始まりでした。

グルジは行者として歩んで来たので結婚となると「エセ行者」と思われることも多く、グルジから離れる人々も出てしまいます。

実際に離れた人々が出ました。

これまで「グルジグルジ」と慕っていた人々の中でも、「もうここの土地には来ないでくれ」と言われたケースもありました。

批判されることも恐れず、人が離れることも恐れず、それでも構わないと一緒にいるために、私のためにやってくれたことでもあります。

配偶者ビザをとってくれたおかげで、さらにこの3年間はビザの心配をすることなく、毎日一緒にいることができ、たくさん学ばせてもらえ、同時に奉仕することもできました。

こんな素晴らしい毎日が一生続かないというのは、「今世、私の人生は短いぞ」と言う言葉でどこかで受け入れなければならない日がくるとわかっていても、天界はきっと私の願いを叶えてくれる。。。

そうどこかで信じ続けていました。

グルジの夢は本を出版することであるのはわかっていたので、これだけは絶対に納得のいくデザインで(中身の内容は私には出来ないので)出来るだけお金をかけてプロに任せ綺麗に仕上げることは最善を尽くしました。

4冊出版できたらいいとグルジが言っていたのもあり、4冊仕上がったときは本当に嬉しそうでした。

次はこの本を科学者や経済学者などにも読んでもらいたい。。。とたくさんのミーティングやインタビューを受ける想定でレジデンスとは別でオフィスを借りたんです。

それなのに。。。

グルジは絶対に病院に行かない主義だったのもあり、救急搬送になるまで病院には連れていけませんでした。

病院に行こうというと、幼少の頃からずっとこうで、どれだけ病院にかかったと思ってんだ。大量の薬もアーユルヴェーダも何もかも、全部試したが同じだ。。。と。

病院もダメ、一般の薬もダメ、インドのアーユルヴェーダもダメならとアメリカからいろいろなハーブ薬を何万円も毎月オーダーしていました。

かなり緩和に繋がったものもたくさんありました。

グルジはいつも「ユキが私の面倒をみていなかったら私はもうとっくに死んでいる」と良くお弟子さんに言っていたらしいのですが、グルジの要望に添い最善を尽くしました。
後悔の余地もないほど、尽くしました。

今世でグルジのやりたいことを全て満たす。これは私の役割でした。

なので巡礼でもグルジの行きたいところを全てまわり、出来る限りの身体のケア、必要とするものは全て揃え、良い出版社で世界中の人が手にとっても「安っぽく質が悪い」と思われない本を出す。インド料理もたくさん勉強し、健康的で美味しいものを出来るだけ食べさせる。

いつもマッサージやヒーリングをし、できる限りの愛情を尽くしました。

でももっともっと、これからもグルジのためにやってあげたかった。

瞑想スクールをやろうとか、ミャンマーに行こうとも話していたのに。

心の行き場を失うほど、無念さや、孤独感、喪失感、絶望感は想像が出来るような範囲ではありませんでした。

これから私は何をどのようにして生きていったらいいのか、失ったものが大きすぎて、どのようにこの現状を飲み込んでいいのかわからず、悲しみに打ちひしがれるだけの日々でした。

グルジが他界してから3ヶ月。

今私がどこでどのように過ごしているかを、できるだけ手短かに書きます。

生前ブッダガヤの病院からパトナという街の大きな病院に搬送され、そこから自宅介護に切り替えるように医者に言われました。

突然全身麻痺になり、いつ呼吸困難に陥るかわからない目が離せない状況で、私は1日に2時間から最高4時間しか寝ることもできません。4時間連続では寝れないので、夜2時間、午後2時間、グルジがぐっすりと眠っている間に私も仮眠。

医者は患者に体力がないから治療ができない。コロナ患者もいつ紛れ込むかもわからないので病院は危険だ。家でみてあげなさいと、追い出されたようなものでした。

私は完全介護に徹する中、私たちの食事や洗濯、買い出し等サポートしてくれる人がいないので、デリーにいるグルジのお弟子さんが「パトナから5時間走ればうちの家族がサポート出来るから、ブッダガヤに帰らずにうちの家族のところに行って!うちの家族がサポートするから!」と言ってくれ、お弟子さんのお母さんと、お兄さん家族が住んでいる家で頼らせてもらうことにしました。

お弟子さんのお兄さんとは何度もデリーで会っているので、甘えさせてもらいやすいのもありました。

この国は大きいので、5時間程度はそんなに遠くない範囲になるんです。
そして救急車でお弟子さんの実家まできました。
暴走族のように走って5時間。
ビハール州にあるマドゥワニという地です。

グルジは生前「ラデとダダジ(お弟子さんたち)の出身地を見に行きたい。」と言っていたのですが、まさかこんな形でここに来ることになるなんて。

お弟子さんのうちで数週間は安定していたのですが、突然容態が悪化し再度10キロ先にある病院に救急搬送し9日間の集中治療でグルジも頑張ったのですが、抱きしめながら、私の腕の中でゆっくりと息を引き取りました。

インドはロックダウンしているためお弟子さんたちもグルジの家族も誰一人として、見舞いにも葬儀にも来れませんでした。

車で来ても20時間はかかる距離で、当然電車もバスも運行してなく、州を越えると2週間の隔離ですから来る意味がなくなってしまうというのが現状でした。

ですが毎日何度も何度も連絡をくれ、全ての確認を取って私たちの面倒をみてくれ、お弟子さんとグルジのご家族は葬儀には携帯のライブで全員参加になりましたが、葬儀には村民が数百人来てくれました。

そしてお弟子さんの一人、ラデが心の行き場も、今後2軒のアパートを引き払っても家具をどうするのか、どこに住めばいいのか全くわからなくなった私に、「(マドゥワニの)うちの2階にこれから住んでください!これからすぐに建築します!」と言って2階は外壁すらまともにできていない、窓もドアもない、レンガを積んだだけの壁の状態から大急ぎで建築を始めて住める状態に作ってくれました。

そうは言ってくれても、こんなど田舎に私は住めない。。。と正直思っていました。

車ですら月に2、3台見るかどうかの小さな村で、電気が来たのも3年前。

洋式トイレを見て「これはなに?服入れて洗うの?」と聞くほど、世界とかけ離れた村です。

ですが、グルジがこの地で火葬後、そのまま埋葬され、ここにグルジの寺院を建てたいと思い始めました。

それをダダジに伝えると、「グルジのサマディ(お墓)がある土地はうちの父の土地なんだ。そこは父が生前社会活動に役立つことに使われるなら寄付する」と言っていたんだ。ならばグルジの寺院を建てよう!」

と提案してくれました。

1エーカーとちょっと小ぶりな土地で(住むには十分大きいですが)正直預金も大してあるわけではないので、大層立派な寺院とはいかないですが、小さくてもエレガントで綺麗な寺院を建てたいと思っています。

ですがヒンズー教では死者に対して1年間は建造物を建てることは禁止されているので、1年間は入念にプランを練ります。

今思うと、最終的に一番可愛がっていたお弟子さんたちの土地で眠り、そこに寺院が建つことになるのは、もう決められていたことだったんだと思います。

行者の寺院が建つというのは、大聖者の証です。

この大聖者に対する私の無限の愛情と奉仕精神ははまだまだ(永遠に)続きます。

こういったわけで、今ラデ(お弟子さん)の家の2階2部屋に住ませてもらっています。

田んぼしかないど田舎ですが、インドは世界で第三のコロナ感染大国となってしまった今、マスクをしている人も一人もいない、こんなにコロナの心配をせずに安心に安全に暮らせる土地ですので、とても有り難い状況でもあります。

お弟子さんたちのグルジに対する深い愛から、私はこんな恩恵を与えられ彼らに救われました。

グルジとは肉体的には離れてしまいましたが、魂での繋がりはしっかりあります。

生前と同じようにはいかないものの、グルジとコミュニケーションも取れているのでそこも大きな救いではあります。

グルジには「グルジの人物像も作って、寺院建てるからね!」というと

「生前にどれだけたくさんの高価な物をもらうよりも、死後に寺院を建ててもらえることほど嬉しく、名誉なことはない」と喜んでいました。

グルジの存在はあまりに大きかったので今でも心に喪失感は大きく残っています。ですがグルジの魂とは繋がり、お弟子さんたちの愛とサポート、天界の助けによりもう一度生きる希望を見出すことができました。

私の命と引き換えにグルジが生き延びた場合、最終的にグルジの寺院を建てる人がいなくなってしまうので、天界は引き換えを許さなかった。そう思っています。

これから暫くこのお弟子さんの家でお世話になり、プランを練っていきます。

ちなみにグルジのお母さんは、先月ロックダウンが一時緩和した時にブッダガヤに荷物を取りに戻るまで、ブッダガヤの近所のネパール人ファミリーのところでお世話になっていました。

私がマドゥワニに引越すにあたり、グルジのお母さんはネパールに戻り向こうのご家族と暮らすことになりました。

1ヶ月間しか一緒に暮らせませんでしたが、85歳でありながら頭はとてもシャープで、謙虚で、洞察力に優れ、人の恩を決して忘れない、さすがグルジのお母さんだ。。。と思う素晴らしいお母さんでした。

NYに住むグルジの妹さんがネパールに戻るまで一緒に数年暮らす予定だったのですが。。。

子供みたいに純粋で可愛いいお母さんで、もっともっとグルジのお母さんにも奉仕したかった。。。

グルジのお母さんと1ヶ月でも暮らせたのは本当にとても嬉しかったです。

長くなってしまいましたが、グルジの魂とともに、そしてお弟子さんたちとともに別のかたちで再出発です。

ブッダガヤ内で引っ越し

ここに引っ越してきて2ヶ月でですが、再度引越しをするとは思いもしませんでしたが、大家さんが約束していた網戸をつけてくれないとわかったので、引越しを決意しました。

この家はとても気に入ったというロケーションでもなかったのと、風水的にも門が悪い位置にあり、グルジ曰くお金にいつも困るような作りらしいです。

引越し前から、この家に入ってみてダメそうなら、すぐに新しいところを探そうとは言っていたものの、本当にそうなるとは。

そんな風水だからか、大きな敷地に大きな家を構えていながら、屋上の一間で住み込みで暮らす使用人(夫はドライバー兼、何でも屋、妻は家の掃除と食器洗い)に給料を払っていないほど。

使用人は極貧で服もボロボロ、子供達は3人もいて、ある日うちのドアをノックしてきて「野菜を買うお金がないんです、ジャガイモ貰えませんか」ってやってきたほど。

ジャガイモ、トマト、コリアンダー、ロキ(ウリ)、 ビスケット、 チャパティ粉5キロ、落花生1キロをあげましたが、こんな極貧の家族が夕食の野菜すら買えないほど支払わないなんて。。。。

私たちの溜まった服もダンボール一箱あげました。

特に私の服は彼女とサイズが同じで数回しか着てない新品同様の服がたくさんあり、タグのついている服もあったので大喜びで着ています。

でもこの大家さん、そこまで貧困なわけじゃないんです。

自分たちのお金を使いたくないだけ。
この1ヶ月半の間に3度も旅行に出てますし。
こんな人間性の大家さんのところにいるのもどうかと。。。

地元の友人、マニーシュに相談し新しい家を探すのを手伝ってもらうと、2週間かかりましたが、見つかりました!

奇跡的な家が!

とても閑静な通りで、3階建の豪邸を発見。

門構えからして、ミリオネアは間違いなし。

グルジに「この家はどう?聞いてみない?」と言うと「こういう家は貸し出しするために建ててないんだよ。大家族で住むために建ててあるんだ。」と一蹴。

確かにこんな強烈にどデカイ豪邸建てて貸し出さないだろうと納得。

貸し出したとしてもレントが高くて手が出ないのも容易に想像がつく。。。

そして通り過ぎ、通行人にマニーシュがこの辺で家を貸し出しているところありますか?と聞くと、あそこの豪邸聞いてみたら?空いてるかもよ?と。

これはご縁があるということ???
と車で引き返し、その豪邸の前で車を止めると、使用人が丁度出て来て「家を探してます」というと、大家さんのところまで連れて行ってくれた。

マニーシュが大家さんに私たちがどういう人かを説明すると

大家さんの奥さんは私たちを中に通してくれ
「この家は家族だけで暮らすために建てたんだけど、3階が空いてるんだ。見てみる?」と。(グルジの言った通り。でも貸してもいいらしい!)

外から見てもカーブを描く巨大な美しいバルコニーがあり、こんなバルコニーのある家に住んでみたいと♡と思うほど、バルコニーは美しい。。。。

(中の部屋の作りはそんなに素晴らしいわけではないのですが、スペースはすごい。4部屋あり、どの部屋もキングサイズのベッドが2つ、3つ入るほど広い。)

窓など全体のデザインがちょっと古いのが残念なのですが、それでも十分OKなレベル。

スペースが大きくなればなるほどレントも上がるので、聞いてみてもきっとレントが高すぎてスゴスゴと帰ることになるのはわかりきっていることと私たち側の誰もが思っていた。

そして値段を聞いてみると、奥さんは「息子に聞かなきゃわからない。息子はいくつもビジネスを持っていて忙しいから。。。夜に帰ってくるからその時電話で」と。

そして家の門を出ると、なんと昼間なのに偶然にも息子さんが帰って来た!
(すごいコインシデンス!)

自己紹介した時点で、この人たちなら良さそうと思ったらしく、貸し出すとしたらいくらで貸せるか聞いてみると、なんと、今借りている家賃と同じ!

まさかー!と大はしゃぎしたい気持ちをグッと抑え「そうですか。わかりました。考えてまた連絡させてください」とクールに装って帰宅。

話し合いの末、ここまで静かで大気汚染もなく、マーケットに近く、安全で綺麗な家はないだろうということで決定。

ですが、ここの家も3階は使ってないのもあり、網戸やキッチンの戸棚もない。。。

息子さんに全部屋の網戸とキッチンの換気扇、それとキッチンの戸棚をつけてもらえます?というとあっさり「いいよ。」で終わり。

そうしたら、レントとボンドをすぐに払ったほうがいいですよね?と言うと

「え、でもそんな少しのお金を先に貰っても別にあまり意味がないから、引っ越して来たときに払ってくれたらそれでいいよ」と。

さすがミリオネア!

大家さんはリッチな人だと本当に助かる。

ということで、来週に再度引越しです。
(ブッダガヤ内での引越しはこれで最後になるはず!笑)