瞑想に入る前の基本

 

瞑想は精神を落ち着かせたり、バランスを取れるようにしたり、究極の自分を知るためにおこなうものですが、

その前に普段から常々何を自分は考えているのか、どういった思いを多く巡らせているのか、自分という存在をどう見ているのか、どういう人間だと信じているのか、世間からどういう人と見られていると信じているのかを確認する必要があります。

頭がスピンしすぎてしまう人も、客観的に自分を観察できてなく早い思考や感情に持っていかれてしまうと瞑想にも入れなくなります。

なのでまず第一に、自分の思考を客観的に観察する。

ただ見てるだけです。

 

こういったことを考えている私は良くないとか、何でこんな昔のことを考えてしまうのかとか、考えていることに善悪のジャッジをしない。

そして考えていることに飲み込まれない。

客観的にただ見てるだけの状態ができないと、考えていることと感情が自分の思考をハイジャックするので、あっという間にその思考の中に入ってしまいます。

イライラしたり、悲しくなったり、不安になったり感情的になり出したら客観的に観察が出来てないという証拠。

なので感情的にもならず、善悪の判断もせず、ただ見てるだけをとことん練習するんです。

 

これができないとまず瞑想に入っていけませんし、自分を知ることすらできない。

書くのは簡単なんですが、やってみるとすぐに思考に飲み込まれます(笑

なので決意とトレーニングが必要!

それがある程度出来るようになったら、信じていることも客観的に見出していく。

 

例えば

信念1:自分は醜い

信念2:自分は醜いと世間から思われている(と信じている)

信念3:醜い自分が嫌いで罰してやりたい

意外にも綺麗な人がこういうことを信じていることもあります。

自分というのはどういう存在なのかという信念が、幼少の頃にかなり出来上がっている部分もあります。

例えば裕福な家庭じゃなかった場合、今はとても安泰した生活を送っていても昔の記憶や昔の自分の印象が抜けてないために、「私は貧乏の出だから」というヘビーな思い込みを後ろに隠し持ち続けていたり。

 

過去のことなんて、思い出してもゴミだめをあさるようなもんじゃありません?(笑

学習を得るために思い出すならいいですが、そうじゃないなら過去のことに引っ張り回されるのはエネルギーの浪費で無駄です。

先々の不安もしかり。

 

ひとまず頭が空回りしていたり、同じことが繰り返されていたり、自分の思い込みの印象から抜けれない場合も、まずは観察する必要があります。

しっかりと「知る」そして、そう考えている、信じている自分がいるということを「受け入れる」それから「変容」になります。

 

傍観者になり、判断を一切せずに自分を自分自身で見て、聞いてみてください。

深い発見がたくさんあるはずです。

 

なぜ意識的に魂に繋がれない?

こちらはようやく雨が上がりそうな気配です。

3ヶ月半ずーーーーっと雨でした。

今年は嵐のような降りかたはなく、ただ絶え間無く降り続けた。。。という、これはこれで結構キツイ雨季でした。

 

オンラインセッションの予定についてですが、長雨の影響もありなかなか決行できずにいました。

9月の上旬にはと思っていたのですが、お問い合わせをくださっている方々、「やります、やります」と言いつつすみません!

もうあと少しで準備が整うところですので、近々始められる予定でいますので少々お待ち頂くことになりますが、よろしくお願いします。

 

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昨日久々豆腐を作りました。

この時期大豆が手に入りにくく、3ヶ月ぶりに入手!

というのも、インドは地元の商店では穀物は全てバルク売りなんです。(量り売り)

個装されてないのですごい勢いで虫がついてしまう。
特にこの雨の時期に虫が付きやすい大豆はお店側が売りたくないそうで、どこにもおいてない。。。

なので品質の良いものや地元で手に入らないものはデパートまで買い出しに行かないと手に入らない。。。

月一の買い出しです。

一手間かかるけど、やっぱり手作りのものは美味しい。

 

 

さて。

話は変わって

三位一体と言われる、肉体、精神、魂の三つの構成がありますよね。

その中の魂のレベルには前世の記憶も、叡智も全て備わっている。

つまり自分で解決できない問題なんて初めからないし、自分が自分のカウンセラーであれるはず。

でもそうは簡単にその境地に届かないというのは、非常にもどかしい。

全ての人間が持ち合わせているにも関わらず、コネクトできない。

 

何がこんなにもブロックさせるのかとグルジと話していました。

グルジは「魂の領域には揺れ動いている状態では入れないからだ」とあっさり。

そうか。そりゃそうだ。そう言われちゃうと、瞑想して入るしかないと話が終わっちゃうんだけど。。。。

 

私たちのマインドは常にポジティブかネガティブかで揺れている。

中間であまりどちらでもないものはマインドが好まないので、マインドはすごいポジティブかすごいネガティブかにくっつきたがる。

すごい美味しい、すごい楽しい、すごい気分がいい、すごい嫌い、すごい怖い、など、記憶が強く残るのもこういった、強い感情や感覚があったことであるはずです。

良くも悪くも印象の強かったことが、記憶としてよみがえってくる。

 

大体、マインドの動きは過去の印象に振り回されるか、想像を繰り広げて頭がスピンしてしまうかが一般的。

グルジ曰く、過去のことは「記憶」になるので、記憶の領域ばかりを使っている人は眠気を多く感じる。

想像の領域を過剰に使いすぎる人、不安が多かったり未来を心配しずぎたりする人は不眠症に陥りやすくなる。

という。

 

どんな感情であれ、どれか一つが主導しています。

ただ良いか悪いかは別として、高揚していても落胆していても振り子が激しく動いていることに変わりない。

そのような状態がどちらでもない、つまり高揚も中間にきて、落胆も中間にくる状態に持ってくる。

その状態に入らないと魂の領域にコネクトできない。

魂の状態がそうだから、まずは頭をその状態に合わせないと、門が開かないってこと。

それが瞑想の状態。

 

もちろん魂の領域に一切コネクトしてないという意味ではなく、当然繋がっているのですが、意識的に繋がれないのは、この思考が邪魔をしているからということです。

なんともシンプルなことが、不可能に感じるほど難しく出来上がっているこの次元と惑星に生まれてきちゃいましたねぇ。

 

でも誰もが自分で瞑想の練習をするならば、こんな私のようなヒーリングやカウンセリングは一切必要ないし、誰もがどんな問題でも自己解決できる!

 

いつも思うんですよね。

ヒーリングだのカウンセリングだのって、大きなお世話だよなぁって。

誰もが自分で出来る力を持っているのだから、それぞれが自分の持っているパワーを最大限に引き出していってもらいたい。

ヒーリングやセッションの効果があったというお知らせは嬉しいですが、何よりも一番嬉しいのは、セッションが必要なくなること。

 

自分の足で力強く歩める。

これ以上嬉しいことはないです。

 

眠っている能力

 

才能や能力は意外なところに意外なものが潜んでいたりするんです。

自分は才能がない。。。とか得意なものがない。。。とか思う人もいるかもしれません。

確かに今世ではとりわけ目立つものがないと感じるかもしれないけれど、自分の前世にもないし自分の両親や曾祖父母や先祖にも何一つ才能がないと言うことはあり得ない。

前世や血縁の才能も含んでいる集合体が自分。

 

得意なものがないというより、感性が沈んでいて得意なものが上がってこれないだけかもしれない。

 

また誰かが持っているエネルギーを自分にもダウンロードしちゃうことだって出来る。

例えば「写真家になりたい」とする。

自分の好きな写真家がいたら、その人を対象に瞑想するんです。

そしてその人の持つ才能を感じ取ることで、自分にダウンロードされる。

パソコンのように5分でとはいかないので、時間をかける必要があります。

 

または前世で積んだものが突如/徐々に現れることもある。

グルジは科学や天文学、心理学を総合して研究しているのでそういう話題しか上がらないのですが、(基本的無駄話がないので、どんなトピックが上がっても全て学問に繋がるようになっていく。これが楽しいんだ!)

 

5年前に
「君は天文学はもう学んでいる」と突然言ってきた。

私は「天文学はわからないし、興味ないし、痒くなる。水金地火木・・・・とかの並びを知ってるくらい。というか好きじゃなさすぎて困る。。。惑星と心理が繋がっているのを知っているのにどうやっても天文学って考えるだけで痒くなる。勉強すること自体が絶対無理」と言っていた。

 

確かにグルジからしてみると、天文学は私が知らなすぎて話し相手にならない。

それでもグルジは「興味がないんじゃない、もう前世で相当勉強したからだ」と言っていた。

そうは言っても、好きにはなれず。
でもそれをきっかけにちょっと宇宙について瞑想し始めた。(本は難しすぎて痒くなるから本より瞑想したほうが早いと判断した)

が、簡単な内容じゃない。

時間もかかるのでちょこちょこと気が向いたときだけ瞑想していた。

 

それから3年後

「聞いて!グルジの前世の一つがハッキリ見えた!ヨーロッパの大学の教授で天文学じゃないかな、教えてたの。それで自分の独自のセオリーを発見してそれを発表しようとしたとき、もう受賞は確実だった。でももう一人の教授が自分のセオリーで賞を獲得したいから、グルジに「お前がそのセオリーを発表したら殺す」って脅しをかけてきて。。。

舞台に上がることすらできなくされてしまった。でもそんなんで怖じけるような男じゃなくて、自分のセオリーを一番若い教授に全部渡して「いいか、一晩でこれを全部読んで理解して明日これは自分のセオリーだと言って発表しろ。」と言ってあげてしまった。

その若い教授は「自分がこんなセオリーを出すことなんて出来ないのは誰もがわかっていることで。誰も信じないと思うけど。。。」と言っても

グルジは「いいからやれ。それでお前が受賞しろ。」とまさかの展開となった。

結果、脅した男は受賞を逃し、若い教授が受賞した。

この若い教授は受賞後、誰もが疑うのはわかっていたので「これは自分のセオリーじゃありません。あの教授のセオリーなんです」とみんなに言ってしまった。

が新しい理論なんてそうそう出せるものじゃなく、その前世ではこの機会が最初で最後、壇上に上がることは出来なかった。

その悔しさが今でもまだ残っているから、新しい理論を掴みたいという野心が半端じゃなく今世でもあるという流れ。」

 

ということを話した。

グルジは「どこの国だった?」と聞くので、「ドイツだと思う」と答えた。

 

それから2年後、

グルジが

「思い出したーーーー!!!! 南ドイツの大学だ。ハッキリ見た。天文学を教えていた教授だったときの大学は今でもある!たった200年前の話で、その大学を見たらここだってわかるはずだ。しかも君もいた!君はその大学の生徒だったんだよ!この大学一のヤバイ生徒でね」と話していた。

「ちょっと。。。。そのヤバイ生徒って何?」と聞くと

「君は全教授が誰も君とは目を合わせようとしなかったほど、際どい、難しい質問をガンガン投げつけてくるんだ。他の教授は誰も答えられないようなことばかりで、唯一座って話し合って答えることができたのが私だけだったんだ。」

と聞いた瞬間

私の中で電流が流れるような感覚が走った。

そこから突如、前世で勉強した天文学が突然頭の中で開くようになり、グルジの言っている天文学がものすごい簡単に聞こえるようになってしまった(笑

今まで天文については多少の質問程度で、大して話し相手になってあげれないレベルだったのに!

それがいきなり、本当にいきなり、グルジの言う理論に対して

「そうじゃなくて、その観点を話すのなら地球の質量と月の質量を割り出さなくてはならないし、それにブラックホールからの距離も知る必要がある。そこをきちんと割り出す前にそんなセオリー話したってダメ。光と闇についての理論は簡単に言えばこういうことなんだよ。」なんて言っている自分がいて

自分でも誰だかわけがわからなくなっていた。

グルジは「私が何ページにも書いてきていることを、一行でまとめるなんて!一体どこからそんな考えが出てくるんだよ!?ついに出たな、前世の大学時代の君が出てきた。。。昔言っただろ。君は天文学は勉強してあるって。」とびっくりを超えてドン引きしていた。

 

これぞ、前世の記憶のアクティベートです(笑

アクティベートに繋がったのは、私の中で天文学の話し相手になりたいし、言っていることに対して抜けている部分は何か見極める力があればグルジの協力になれると思っていたから。

それだけじゃなく、の~んびりと数年かけて宇宙を瞑想していたのもアクティベートに役立った。

一番好きになれない学問がまさか一番勉強していたとは。。。

 

グルジは「さんざん勉強したから今世ではもういいって見向きもしないんだよ。不得意なんじゃない。もう学びたい欲望が満たされただけなんだよ。」と言っていた。

というわけで、全ての人の中に好きではない科目に、眠っている才能や記憶があると言える。

 

一つ言えることは、何か一つに集中することは大事。

集中するということはそれ自体がもう瞑想になっているから、ズッポリと時間を忘れるほど入りこめるのなら、それをさらに向上させる枝葉を勉強していくことで、気づかぬうちにアクティベイトされてくるものが色々出てくるはずです。

 

瞑想のススメ

 

瞑想といってもやり慣れてないとなかなかできないもの。

意識をどうすればいいのか、お喋りをどう止めればいいのか、何に集中したらいいのかわからない。。。

止めようとしても何も止まらない。。。

しまいには眠くなるか、飽きて立ち上がる。。。

多分こうなるのは普通だと思います。

何か一つをターゲットに集中すること自体が結構難しい。

頭は普段ペチャクチャとお喋りを永遠としているので、なかなか一つのことに集中しにくい。

そこで一つ何かにターゲットを置く瞑想ではなく、流動的に動かす瞑想、仙道の小周天がオススメ。

まずは仙道または小周天について書かれているものをご一読ください。

エネルギーを動かすことに慣れてないとちょっと難しいかもしれないけど、でもこれが出来ると、頭は冴え身体は軽くなりエネルギッシュになりバランスが整いやすくなります。

簡単に言うと、背骨を中心に身体の前と後ろにエネルギーが通る道があります。そこにエネルギーを通して丹田に集めて、またまわしてと繰り返す。

 

書くのは簡単ですが、難しいのはこのエネルギーが通る道があらゆるところでブロックされているところがあるので、それを除去していかなくてはならない。

何度も何度も繰り返すことで、抜けてもきます。

これが一周できたら、びっくりするほどのエネルギーを感じるはず。

普段の3倍くらいの活力が出ちゃうこともある!

活力を上げるにはすごくオススメのやり方です。

小周天は仙道のほんの出だしで、その先がまだまだあり度肝を抜かれる内容盛りだくさんですが、この出だしの小周天だけでもできたら体質改善にも繋がります。

この状態になったら、一つの事柄に集中する瞑想も一層やりやすくなります。

ただエネルギーを回したり溜めたりすることでエネルギッシュにはなりますが、心理的な理解が深まるかといったらちょっと別だと思うんです。

頭が冴える分助けにはなるでしょうけど。

 

心理的に深いところを知りたかったら、心理をターゲットに瞑想するのが早い。

なぜここを言及するかと言うと、エネルギーが上がることと精神的な理解の成長は比例しないからです。

ある行者にあったことがあるのですが、この行者とにかくクンダリーニのあげ方がスゴイ!スーパー級にエネルギッシュで集中力も半端じゃない。

肉体レベルのコントロールは明らかに只者じゃないんですよ。

毎日クンダリーニをあげる瞑想をしエネルギッシュに保ちオーラも巨大。

ただ、そういう瞑想やトレーニングを何十年も積んでいるので肉体は筋肉もそんなにあるわけでもないのに強靭なんてもんじゃない。

でもエネルギーをあげることばかりに気を取られ、精神を理解することはすっかりおざなりになってしまった。。。

まるで理解しているかのように話すのですが、まぁちょっとした盗みやエゴ、自分ばかりが凄いと敬われたく、他の人の成長は見たくない考えがあったり。

 

どれだけ凄い行者かというのを売りにして世間的なポジション、尊敬、贈物を得ようとしているだけ。

メンタル的に人を成長させてあげることは全くできない。。。

そこを瞑想しようとも思ってもない。

これだったら、行者じゃなくてビジネスマンになった方がマシだったと思います。

 

いいところとしては、別に誰かを害そうとは決してしてないところ。
あと、これほどの集中力のトレーニングを積んだことは素晴らしい。

 

ただ人々を困惑させるんですよね。

「なんだろう、この行者は。。。これだけ凄いエネルギーを保持できるほどのパワーがあるのに、メンタルが成長していない」って。

これほど人々から「凄いと言ってくれ、褒めてくれ」と出すということは、裏を返せば

巨大な虚無感や劣等感や自信の無さが心の奥底にあるってこと。

それを外から補おうとしているだけ。

だから空回りしちゃって、逆に「あの行者は瞑想とか神話の丸暗記力はすごいけど、何も役に立ってないな」なんて村で噂になってしまうんです。

だから本当の意味で行を積むというのはとても難しく大変なこと。

 

でもこの行者これだけの集中力を高めたのですから、あとはエゴをクリーンにできたら、最強の行者になることは間違いない。

 

自分のエゴや間違った考え方を無視して進むわけにはいかない。

気づいてないなら仕方ないのですが、そこに気づいて手放していくのが瞑想であり、そのプロセスを踏んでいくのが真理への道。

 

エネルギーをあげてバランスをとる瞑想と、精神を理解する勉強と瞑想をバランスよくやることが真理への理解に早く進める方法です。

エネルギーをあげるには仙道はすごくいいですが、自分をもっと理解するやり方としては、仏陀の瞑想法はすごくいいです。

これは内観的な瞑想法なので、深い気づきが得やすくなります。

 

ちなみに瞑想することで何か変わることは???

まず記憶力、読解力、集中力、理解力、分析力、洞察力、直感力なんかが徐々に上がってきます。

通常ある一定の年齢から脳の細胞が死に始め能力がだんだんと下がってくると言われてますけど、私は全てにおいて段々と上がってきています!

そうならば、やりがいあるでしょう?

 

でもやるのか、やらないのか、決意が必要!

オリジナルの自分はどこ?

インドの長雨はまだ終わることなく、シトシトと小雨の毎日です。

日本は台風が相次いでいるようですが、お気をつけてお過ごしください。

この数週間はずっと朝6時以降に就寝というサイクルになってしまってます。。。

グルジが最高の執筆のペースに入ったのもあり、朝までお茶汲みです。

といっても、もともと私は朝まで起きているのは全然平気なので、私も朝まで瞑想したり読書してます。

最近は瞑想から得れる気づきが多くて、楽しくなっちゃって、1日が2、3時間しか感じられない日もたくさんあります。

 

今起きたのに、もう寝る時間?というこの感覚はほんと不思議でこのスピード感がちょっと怖い。

 

今日はマインドについて書いてみます。

以前グルジは一人で修業しながらあちこち転々としていたとき、アシュラムに宿をとっていたのだそう。通常アシュラムは行者には3日まで無料で泊めてくれます。

ただインドでは行者というのは、グル(師匠)がいてどこかのオーガナイゼーションに所属しているという証明が必要。

例えば私はOsho の弟子です、とか。

どこにも所属してないとなると、通常どこも泊めてくれないので食いつなぐことさえできない。。。

それもあり所属してない行者はかなり少ない。

グルジの場合、その所属してない一人だった。

というか、インド中グルを探しても見つからなかったらしい。

そこらへんにいるグルなんて大した知識も持ってないのが現状。だから自分よりもはるかにすごい知識を持っている人に出会えなかった。。。と言っていた。

でも尊敬している行者はいるらしい。

グルジのあるときの話が面白い。

どこかに宿を取ろうとアシュラムに行ってみると「あんたは誰だ、どこに所属している?」と聞かれたのだけど、「所属してない」と言うと「エセ行者め、出ていけ」と突き返されてしまった。

でもそこで、このアシュラムの運営者はどこだ?話をさせてくれ。と頼むと電話をかけてくれて、運営者のトップと話をすることが出来た。

運営者は「あなたはどこの所属だ?」と聞かれ「所属していない」と言うと

「どこに住んでいる者だ?」と聞かれ「ここに住んでいる」と答えると

「どこだ?」と言うので「この身体に住んでいる。私の家はこの身体だ。」と言うと「あなたは誰だ?」と聞かれ「それを知るために修行しているんじゃないか!」と答えた。。。

運営者はアシュラムの管理人に電話を代わってくれと言い

「この人は本物の行者だ。一番いい部屋に通して食事を出しなさい」ととても綺麗なゲストルームに泊めさせてもらったのだと。(通常行者はホールでみんなと一緒のスペースで寝かされる)

このやり取りで「本物だ」と捉えるところがやはりインドだ。

グルジはいつも「下っ端と話してもダメなんだ。所属してなければどこも受け入れない。だけど上と話せば間違いなく理解される。それだけで生き残れた」と言っていた。

まさに、自分を知ると言うのが修行。

私は訳のわからない考え方や固定観念になっていることや、変な感情的反応の仕方だったり、心に反する思い込みがあったりすることがとても不思議に感じた。

一体どこからどう沸き立つのか?

これは本当に全て私が発信したものなのか?

これは全て独自のオリジナルなのだろうか?

不思議で不思議でこういった内容ひとつひとつ気がつく範囲をどれもこれも拾っては、それを対象に瞑想してみた。

これは私の?違う。これは母親のエネルギーとパターン。

これはどうだ?違う。。。これは生まれながらに父親から譲り受けたエネルギーと気質。

じゃこれはどうだ?一緒に過ごしたことも全くないおじいちゃんのパターン。

じゃこれは?前世の経験から得たものだ。。。今世では全く経験にないもの。

ってな具合で何日も何日も何日も何日もかけてひとつひとつを拾い上げては瞑想し、それが自分オリジナルのものか探ってみた。

で、結果自分のオリジナルの思考というものは一つも得れなかった。

そう、自分のマインドにオリジナルはない?

この思考がオリジナルじゃないとなると、私は誰なんだ?!となる。

じゃ、自分というオリジナルの存在はどこにあるのか?

それは魂のレベルの自分。それはオリジナル!

 

つまり通常の思考レベルで稼働しているものに独自のものはない。

そう書いちゃうと人生が全く味気なくなる。。。?

どれもコピーだったり、どこかから入ってきたもの、またはリンクしたものだったりする。

 

突如思い立った素晴らしい発想でも、宇宙のどこかにあったその想念が入ってきたりしてるってことになる。

それを使う使わないは自分の理性になってくるし、スペースのあるところにその想念やエネルギーが入ってくる。

つまり存在しない「考え」はないってことになる。

どこかにその思考が存在していて、それが自分にリンクしてくる。

 

でもオリジナルというのは、例えば本を書く人なんかで、何千冊も人の書いたものを読みあさり、それを自分なりにまとめて出版するなんて人もたくさんいると思います。

でも自分の経験を踏まえて書いている人は、オリジナルの作品と呼びたいですよね。マインドというシステムにオリジナルはないにしても、コピーをしてない作品は努力の結晶でオリジナル作品だと思います。

 

グルジはこう言います。

「やりたいところ、やれるところにエネルギーが集まるんだ」と。

「つまり宇宙の全バランスの中に、必要とするスペースと、やりたい+やれる能力を持ち合わせたところがマッチするようになっている。」という。

例えばこの世にたくさんの人が面白い本が読みたい!誰にも書けないような吸い込まれるような小説が読みたいという、宇宙におもしろ小説が読みたい願望のスペースがある。

そこに「今世では書きたい!面白いストーリーを書き続けたい!前世からもストーリーを書くことはもう経験を積んでいる」という願望と能力を備えた人がぐっと押し出され、世界中に翻訳されるほどの村上春樹さんみたいな人が出てきたりするということ。

そこで私は「やりたい願望+能力」が備わっているのに、やらない人って結構いる。これは?」と聞くと

「勇気と度胸がない」とあっさり。

そこだ。。。。

まさしくそこだぁ。。。

どんなに願望と能力があっても、「批判されたら。。。。売れなかったから。。。」というところにしがみついていたら前進するのは無理。

人間にはある程度の勇気が必要。

最終的にやってダメより、やりたいことをやらずに終わる方が人生堪えるでしょう。。。

私はやらずに後悔するより、やってダメだとわかる方がいい。

やってダメでも、もっと改善するには、もっとできるようになるにはと努力と研究を重ねたら、ダメだったことが「できた!」に変わることもある。

好きなことは諦めない。

今世で100%に達成せず、80%しかこなせずに終わっても、決して無駄はない。

来世その80%からのスタートになるから、いきなり「この人才能ある!」みたいなスタートがきれるわけ。

あの人は才能があって、あの人にはないという不平等というのはないんですよ。

前世のバックグラウンドが見えてないだけ!

だから何を努力しても決して損にも無駄にもならない。

好きなことに徹するのは素晴らしいこと。

ひたすら毎日の努力の積み重ね。

 

中心の自分

カトマンズから帰ってきました。

行きの飛行機はキャンセルになってしまったので、帰りは飛行機でと思っていたのですが、帰りの便は行きの便より倍額になる。。。(日本に帰れるような額!

それに予約したチケットがキャンセルになって乗り継ぎ便を破棄しなくてはならなくなったのは、実は今年2度目!

なんか、3度目の正直でまた起きそうな気もする。。。

カトマンズでの用は無事済んだし、ACの寝台列車でのんびり帰るかぁ。と決意したものの、結局電車の予約が取れず、代わりに深夜バスになってしまった。(バスだけは避けたかったのに)

通常深夜バスはエアコン使用なのでそこそこ快適なのですが、やっぱり長距離はきつかった。。。
電車だったらずっと楽だったのに。

国境で別のバスに乗り換えたのですが、全てはスムーズにいっていたはずが、タイヤ2つもパンク。。。

次のバスでは、途中何かのはずみでフロントガラスが大破。

窓枠のゴムも外れ、フロントは裸状態。。。

ガラスがないままのバス。

別のバスを手配するのだろうと思っていたら、なんとそのまま走行すると。。。

考えられない。。。
フロントガラスのないバスを20時間以上走行するなんてクレイジーでしょう。

ひとまず天候は良好。

でも万が一雨が降ったらどうするのさ?

と思っていたら、数時間後、ドドーンと雷が鳴り始めた。

出たっ!まさかの嵐。。。。

ものすごい暴風と豪雨で運転手は目も開けられないので、横殴りの雨で停車と徐行すること3時間。

運転手は毛布にくるまり、ずぶ濡れ。。。

しばらくして嵐も抜け、走行開始。

長距離なのでドライバーは二人いましたが、この方達風邪ひいてないといいけど。
こんな状況で事故が起きなかったのが不思議なくらい。

どうにかこうにか3時間の遅れでランチーに無事到着。

やっぱりACであっても長距離バスはきつかった。。。

帰りはルートを変えたのもあり、行きよりも長い40時間の距離になってしまい、帰ってくると座り疲れでひどい腰痛に見舞われた。。。

やっぱバスだけは2度と使うまいと心の決めていたけど
今回やっぱり思った。
寝台列車は何とかなっても、バスはもう限界だ。

人生初の立ち座りに悲鳴をあげるような腰痛を経験。

ぎっくり腰になってしまった人はこんな痛みなのかもしれないと、初めて腰痛持ちの人の気持ちがわかった気がした。

到着日はもう疲労で爆睡でしたが、翌日は痛みがマックス。

これはどうにもこうにも、自分でオーラを治すしかない!と瞑想ヒーリングし始めました。

大きな鏡もないので、自分のオーラを霊視して腰の痛みと繋がるところを浄化したり修復したり。。。

痛みはなんとか3分の1まで落ちましたが。。。

なんとかだいぶ楽になったので、サブジェクトの枠が広がり、常識と信じていることや枠づけをする信念についても瞑想してみた。

前世、幼少期、社会の風潮、家庭環境の影響などあらゆるところから創り上げられた、限界や信念をたっぷりと観察することができた。

ただ漠然と見ながらも、不必要な信念なども浄化もしたり。

マインドはまだ動きがあるものの、瞑想の状態には入っているので、全くときの感覚がないので、12時くらいから始めて、気がつくと寺院の礼拝の音楽が鳴り始めた。
ということは朝の5時だ。

この状態に入っていると、飽きるとか長いとかそういう感覚はないので、もうそろそろ寝ようと決めないと疲れも眠さも来ない。

このときわたしは、自分は中心にいるんです。
どんな感じかというと、私が中心の軸で、その周りに感情や記憶や信念やらが渦巻いている状態。でも中心の軸はブレる要素がない。

そこは無というか、相対するものがないと言った方がいい。

何かが残るというのは、受け皿があるから残るわけでしょう。

つまり感情であったり、トラウマであったり、前世の記憶であっても、それが残るということは、何かしらの受け皿がなければ残らない。

相対するものがあるから「残る」とか「発生する」ということが可能になる。

ポジティブもネガティブがあるから存在できるし、ネガティブもポジティブがあるから存在できる。

一方がなくなったら、もう一方も存在できないことになる。

光は闇があるから光として存在でき、闇も光がなければ存在できないのと同じこと。

ごちゃごちゃとわかりにくいことを書いてますが、中心という部分は、その相対するものがない「空」の状態。

簡単な例えにすると
そこは、台風の目のようなもの。

荒らされるものがない。

相対する要素がないということは、心のように傷つくこともない。

つまり真の自分は傷つかない。

でも感情や思考や記憶や想像も全て動きのあるものだから、台風の目の外で起きていること。

真の自分ではない。

台風の目が自分で、外の感情や思考も全てが自分のツール。

ただそのツールをどう動かすかは自分次第になる。

なので怠惰になったり、傍若無人になったり、現実味のない世界や、死んだ時に価値のないものばかりを追ってみたり、どうにでもおかしな方向に行くこともできれば、それはまた真理の理解や霊性を磨く道具にすらなる。

この道具なくしてどこにも行き着けないのが現状でありながら、どうこのツールをうまく扱えるのかは、自分で学ぶしかない。
親や学校の先生すら実際のところよく知らないのだから。
だから至らない親や社会を責めるのも意味がない。。。

そんなふうに、台風の目になって外側にガチャガチャと渦巻いているものをじっくり見ているのは他人事のように興味深く感じる。

中心は感情的にならないから、意識的にほとんど浮上していなかったものまで、客観的に捉えられる。

台風の目の外というのは、真の自分外だからある意味最終的には、(最終的とは生まれ変わりが必要のないレベル)重要じゃないとも言え(全てが無に帰るようなものだから)でも普通に生きている以上、中心に入る階段のような役割のツールなのでとても大切であるとも言える。

こういうことを細かく細かく観察していく。
自分の思考や信念はどんなつまらないものを抱えているのか。
何が真実だと信じているのか。
どれほど、いらないごみが旋回しているのか。

そういうことを直視すること、そして理解し、手放すこと。

それが、いらぬ信念を打ち砕き限界を超えていくことになる。

信念や限界に捉われていたら絶対人生を楽しみきれない。

やっぱり最後までやりたいことやって、いいことも悪いことも受け入れて、マックスで学習して、充実して死んでいきたい!