女医Kさんのはなし



ランチーは元旦からずっと土砂降りの雨でしたが、今日やっと雨があがったところです。

洗った服はカラッと乾かず、乾燥機もないので仕方なしにアイロンで乾かしたりと、まるで雨季のようでしたがやっと今日は久々の青空で洗濯物が乾き、やっと心も晴々!


さて、
数話前にも登場した、女医Kさんのお話しです。

Kさんが今回も他の方のためにもなるかもしれませんので、ブログに使ってくださいとご連絡を頂いたので、是非書かせていただきます。

Kさんのご主人とは大学から一緒で、とても仲の良い頼れる先輩という存在だったのだそう。

その後結婚し、今ではかわいい二人の子供もいます。

結婚してからというもの、何に困ったかというと、Kさんの性格が徐々に変わっていき、あの楽しかった仲良しの先輩と後輩の関係から一変、鬼嫁化してしまいました。。。

どうして鬼嫁になってしまったのかというと
ご主人は率先して何かをやってくれるタイプではなく、言われたことをこなすタイプ。

物事をきちんとマネージメントするのもそんなに得意ではないようで、Kさんがこうしなくてはダメと言えばその通りにやるというタイプなんだそう。

もっと頼れる夫なのかと思ったら、物事をサクサク出来ずに見ていてもイライラし、段々と口調が荒くなり、常日頃から厳しい口調での会話になっていってしまったとのこと。

嫌なのはご主人の率先してできないことだけではなく、厳しい口調で叱りつけている自分にもうんざり。

言われれば素直にやってくるご主人で、強く言い返すこともないので余計に罪悪感も募ってしまう。。。

こんな扱いしたら可哀想と思いながらも、変えることができずいました。

Kさんは本当にこんなふうになってしまった自分をどうにかしなければ。。。と今回は本気で向き合う気でセッションに挑みました。

ご本人は「この苛立ちの裏には、本当に見たくない何かがあるんです。怖くて見れない、見たくない何かが。。。。」と直感的に感じていたよう。

色々な角度から蓋を開けていきました。

そして最終的に辿り着いたところは、やはり両親の存在。

Kさん曰く、「私は立派な親に育てられた。そうずっと思ってました」と。

そこに疑いの余地はなく、Kさんが女医になるまでしっかりとサポートして押してきたと思います。

ただ、問題はその押しなんだと思います。

それは親の過大な期待。

「私は子供の時にいろんなことがスムーズにできなくて両親のイライラの元だったんだろうなと感じていたんです」と。


この期待にこたえないと私は愛されない。

期待に沿うよう、物事はきちんと出来ていなきゃならない。

こういったプレッシャーの中で生きてきたのです。

このような考えは無意識化し、そうするのが当然で、そのように出来ない人はダメな人。。。

私は期待にこたえられる、出来る人間でいなくてはならない。

そして周りもそうあるべきだ。

そのように人をも見るようになってしまっていた。

そしてご主人は物事をオーガナイズしたりがうまく出来ず、どうしてこんなことまで言われなきゃ出来ないのか!と苛立ってしまっていたのです。

その現実に向き合うと、親の期待通りの子供でいなくてはならなかったという呪縛の氷が溶けたかのように大粒の涙が溢れました。

期待通りの子供でいなきゃいけない苦しみに蓋をして頑張り続けた結果、仕事はできる人にはなれたけど、家では夫を潰してしまうというマイナス点が出てしまったのです。

立派な親に育てられたと信じていたKさんにとって、ここを向き合うのは本当に辛かったし、向き合うことに恐怖心をおぼえる程大きなことでした。

幸いご主人は、Kさんに言われることは「ハイ。」と二つ返事でこなすという、優しい方なのでお二人は何とか乗り切ってこれました。

でもご主人が怒らずにいるからこそ、Kさんも罪悪感になり、そろそろこの怒り癖をどうにかしなくては!!!と焦ることも出来たのだと思います。

Kさんに限らず、人は焦らない限り直そうとしませんし、特に「出来ていないと愛されない」というバックグラウンド(お育ち)でそれが当たり前になると、出来てない人を見つけては、「ほらあなたは出来てない」と言うことで優越感を感じてしまうので、まさかこれは自分の直すことと認識するどころか、周りが自分のペースに直さなければならないし、周りが直すべきことにしか目が行かなくなってしまう。

もし自分のこの癖を直すとなったら、出来ないご主人をそのまま放っておくことになるし、そんなことは彼女の感覚では許されない。他人ならまだしも、夫ですし。自分がこの癖を直すなんてまるで自分も出来ない人になるかのような、出来ない人にあわせるだけで、不利益ばかりを作り出すかの錯覚にすら陥ったことと思います。

彼女の中では

出来ない人=愛されない

があった。

私たちの幼少期には、愛されないことほど怖いことはないんです。。。

だからKさんが、ここに向き合うのがどれほど怖かったかよくわかります。

でも実際には、その思い込みの事実と向き合うことで、自分は自分のペースをキープしながら、自分と同じペースで出来ない人にも寛容に受け入れられるようになる。

”自分はできる人”アピールで優越感に浸らなくて済むようになるだけです。

物事はきちんとやるけれど、完璧に出来る人じゃなくても大丈夫なんだと安心できた時、自分で自分を許すことができるようになります。

そうなれたら出来ない人にも優しく指導できるように自動的になれるはずです。

”自分は出来る人”アピールで、優越感に浸り人を落とすパターンの人は、一つだけ気づいてないことがあります。

周りはその人のことを”すごいできる人”とは見ていない。

むしろお節介とか、面倒な人と思っている。。。。

そこに気づかない人もいます。

Kさんの場合は家では鬼嫁になってましたが、職場ではそういうアピールタイプではなく、とても真面目に仕事に取り組み周りからも好かれる高評価なお医者様です。

笑顔がとても可愛く、気さくな雰囲気を持つので、”Kさんが家ではそんな?!”ときっと誰も想像がつかない程です(笑

期待通りにやらなきゃという呪縛が浄化されたいま、

Kさんはわだかまりなくご主人に話しかけられていて、もうあんな態度を出さなくていいんだと安堵だそうです。

Kさんとは2015年からのお付き合いになりますが

毎回少しずつ殻を破り、一歩ずつ前進しました。

玉ねぎの皮を外側を剥かずに、突如中心に到達することはないように、やはり奥深く入り変容するには時間がかかります。

これまでKさんの心はあらゆる層で凍りついていたので、感謝の気持ちを感じることがあまり出来ずにいたのですが、ここまで頑張ってきた結果、やっと感謝の気持ちを感じ、心をオープンにできるようになったと喜びのお便りを頂きました。

ひとえにKさんの努力の結果です。

感謝の気持ちは感じられても、感じられなくても生きることは出来ますが
感じられることがどれほどハートからの深い喜びや慈愛に触れ素晴らしい感覚かKさんご自身で実感されていることと思います。

心から嬉しく思います。



見えない存在

女医Kさんの最後のトピック

おじいちゃんについて。

Kさんのご主人のK家は医者で代々続いている家系です。
おじいちゃんが開業し、子供が引き継ぎ、Kさんのご主人が孫にあたります。

Kさんはご夫婦揃ってお医者さま。

これまではおじいちゃんのクリニックではなく、大きな病院でお勤めでしたが、ある時を境にKさんのご主人がクリニックを引き継ぐことになりました。

そして機を見てKさんも入ることになります。

それまでは血縁関係のない方がそのクリニックを引き継ぐ予定でいたのですが、突然別の場所で開業すると言い、カルテを全て持って出て行ってしまったのだそう。

そんなことがあり、ご両親がKさんのご主人に引き継ぎの話を持ちかけたのだと思います。

Kさんはとにかく義理の父母を好んでいませんでした。

このご両親は、すごくエゴが強く人を見下した物の言い方ばかりをするようで。。。

そんなご両親のやってきたクリニックに入るのも嫌だったし、何かと口出されるのも面倒だし、改装すると言っても文句を言われるくらいでした。

こんなに義理の両親を好んでないのに、このクリニックに自分も入って継ぐことを他界したおじいちゃんはどう思っているのか?

というのが質問でした。

実はおじいちゃんはどうしても、このお二人に継いで欲しかったんです。

血縁関係のない他人が引き継ぐのではなく、孫夫婦に継いで欲しかった。

だからおじいちゃんは、引き継ぐ予定だった人に出て行ってもらって、Kさんたちを引っ張り入れたんです。

Kさんはずっと引き継ぐことにパッとせず、お勤めの大きな病院の方に執着もありました。

ですがご主人は一足先に引き継いでいて、Kさんの診療室もリフォームし準備万端でしたが、まるでヤルヤル詐欺のようにKさんがそちらに入るまでは数年かかりました。

ですが入ってみたら、やっとゆっくりなペースで患者を診れたり、自分のやりたいことに時間を使えたりと、相当充実し満喫しているようです。

おじいちゃんのおかげですね。

見えない存在がどういうふうに、物事を働きかけているか。。。

これは私たちにはなかなかわかりません。

単なる幸運のようなことも、もしかすると見えない存在が何かしてくれている可能性もあります。

また不運が続いたりするのも、何かのサインかもしれません。

見えない存在は他界した家族だけではなく、天界、守護霊や高次の意識体などと言う言い方もできると思います。

私たちは見えない存在の支配下で生きています。

そういう見えない存在に感謝して生きるのは大切です。

普段から見えない存在に手を合わせて生きているならば、浮き沈みなく幸せに暮らせたり、いざという時に救いの手が差し伸べられたりすることもあるかと思います。


過去の受け入れ



こちらはついに雨が到来しました。

今年のモンスーンは今月上旬に南インドから始まったものの、あまり雨にならず20日遅れでやっとランチーに到着し少しばかりですが雨が降り、連日38度から33度まで下がりいくらか涼しくなりました。 

さて、
この間アルファルファを発芽させ始めたと書きましたが、どうやら散水しすぎてしまっていて(暑いから頻繁に散水しないと腐ると思っていたのですが)水をかけすぎていて根が折れてしまったりで実はマックスで全てが育ってなかったんです。。。アルファルファの発芽は初めてだったので、そんなもんなのかなと思っていたのですが散水を朝と夜の2回だけにしてみたら、すごい量になってしまってびっくり。

散水の頻度ミスと気付かず、あまり育たないので大さじ3から大さじ5に増量して、第一弾が育つ前に翌日第二弾を大さじ5水に浸した後に、「あれ、もしや。。。」と思い散水を2度に減らしてみたら7リットル分のタッパーが全部アルファルファになってしまったー!

まさか散水を減らすとこんなに育つとは思わず、びっくり。

冷蔵庫にはスイカも入らない。。。

大きくなってしまってからは散水は多くても全然いいのですが小さいうちに散水が多すぎると根にダメージを与えてしまいます。

サラダにするにも、パンに挟むにもグルジもさすがに飽きた様子。。。

なので、思い切ってさっと湯通しして、ナムルにしたらお喜びで食べてくれ大量消費中。

アルファルファはかなり繊細なので、ひよこ豆や緑豆のようにタフではないので幼少期にザバザバと水をかけるとダメにしてしまうとわかりました。。。。

さて、アルファルファにとってもやはり幼少期がとても大事ですが

人も幼少の頃に親が過剰なケアのしすぎ、またはケアをしなさすぎたりでダメージを与えますね。

ここ最近は幼少期の環境や親のあり方がどう子供に影響するかをじっくりと勉強していました。(ブログ覗いてくださってた方々、なかなかアップできてなくてすみません!)

昔心理学者が1歳から5歳の間に培ったものが性格のベースとなり、それは変えることができないと書かれているのを読んだことがありました。

もう20年以上も前のことですが、あのときは「終わった・・・」と思ったのを覚えています。

そしてそれから数年後に別の人が「幼少の頃からの性格は変えられる」と書かれているのがあり、一縷の望みを見出すことになったのですが。

まず1-5歳までの環境や記憶は本当に性格のベースとなるのか。

それは癒すなり変えるなりできるのか。

どれほど今に影響を与えているのか。

あらゆる角度から脳や性格的パターンなどを研究してみましたが、どれほど影響するかを今更ながら、より一層理解し驚きを隠せませんでした。

もし親が例えばアル中、虐待、死別、離別などがあった場合子供の心にどれほどのトラウマや心の傷が残るかは言うまでもありませんが

こういったことがなかったとしても

「コミュニケーションのレベルの低さ」もかなり影響しています。

出来てないことばかり指摘する親だったり、話を聞かない親(これ今多いんじゃありません?スマホの方が大切になってしまって。)過保護に子供から好かれようとする親、子供の理解なく自分の意見を押し付ける親、子供に興味がない親など色々パターンはあると思いますが、こういった態度が1-5歳の間に継続した場合、その環境をベースとした子供の脳が発達していきます。

ここから強さや理解、学習能力、解決能力、柔軟性などが育まれるか、育まれないかの差が出るのは間違いないでしょう。

欲しいと思いながらも得れなかったことを、大きくなってから「得たい」と必死になるか、または「どうせ私は与えられない存在」と落ち込むか、またこの両方が絡むか、それでなければ人や物事に興味が湧きにくくなったり。

コミュニケーションや理解や協力がいかに重要になるかは、「考える力」がつくかどうかにも関わってくるからです。

問題が起きたときどう対処するのか、またやりたいことややれることがどう創造できるか、どう自分と向き合えるのか、脳の回路がどれだけ繋がるのかもその辺りで大きな差が出てきます。

幼少の時にこの問題が起きたときはこのように解決するという回路が出来た場合、「あーそうか!こう対処すればいいんだ!」という理解が出来それが今後の人生でもずっと応用されていきますが

解決できずに、時がすぎることでなんとか乗り越えた場合、大人になってから似たようなことが起きたとき、なかなか対処も解決もできずに頭が回ってしまうことになる。(書物なり友人なりから早くに対処法を学べたならそれは素晴らしい人生)

問題に直面したとき行き詰まりやすいと感じる項目があり、なぜ頭が詰まるような状態になるのか、どこからそれが生まれているのか観察してみると、幼少期に解決に導かれなかったことが多く出てきます。

解決法を見出せず塞いで終わったことは、「私にはできない。。。」とか「乗り越えられない」「どうしていいのかわからない」または「〇〇のせい」などネガティブな答え方が頭で回るはずです。

大人になった以上、どうにか乗り越えてはいくでしょうけど、スッキリしないなんてことも多いと思います。

問題にもよりますが、行動することで解決できることもあるでしょうし、違う考え方を取り入れることだったり、またただ単に受け入れることが出来てないだけのこともあります。

幼少の頃のことはもう記憶に過ぎないし、多くはもう同じ問題は今起きてないはず。でも似たようなことが降りかかったり、関連することがあると感情的になったり。

ただ過去の自分を受け入れられてないだけのこともあります。

あるアメリカの番組でホーダー(ゴミ屋敷)の親元で育った息子(大人)にインタビューをする番組を見たことがあります。

その凄さはもうレベル10。マックス。

家の中に入るとダニやノミが一斉に足に飛びついてくるし、ベッドの下からはカラカラに干からびた猫の死骸x2が出てきたり、シャワーも浴びないし、歯磨きもしたことがない。歯磨きをしなさいと言われたこともない。。。

学校では臭い、汚い、とおぞましいアダ名をつけられ(幸運なことにそのアダ名が何であったか思い出せないがそれは酷い名前だったと本人が言っていた)

最終的に政府により彼は別のところに引き取られ、家を綺麗にすれば子供は母親の元にいつでも引き渡されるとのことだったのですが、母親は綺麗にすることなく彼は母親に引き取られず「見捨てられた思いでしたね」と語っていた。

司会者が「こんなところ嫌だとか思わなかったのか?」という質問に対し、「段々と感覚が鈍ってきて、これが当たり前になってくるんだ」と言ってました。

何よりもすごいと思ったのが、ここまでも常軌を逸した「過去の自分の受け入れ」。

「昔はこんなだったんですよー。」と言えるというのは、完全にその昔の状況を受け入れて今の自分とは切り離している証拠。

もし受け入れることが出来ていなかったら、「あんな恥ずかしい自分は嫌だ」「あんな自分に見られたくない」「過去はああだったと思われたくない」という思いが出てきてしまう。

誰にでも多かれ少なかれ過去に問題なんてあると思います。愛されなかったとか、兄弟と比べられて自分はいつも低く見られたとか、貧しいことでいじめられたとか。

その過去の自分を完全に受け入れることが出来ているか、出来ていないと「そういう自分が嫌い」「そういう自分だからダメ」「愛されてない自分を見たくない」「みんなから認められている自分にならなきゃいけない」「リスペクトされる自分にならなきゃいけない」とこうじゃダメ、ああじゃダメと否定し続ける自分が自分の心に居着いてしまう。

本当に苦しいのは、過去に起きたことではなく、否定してくる他人でもなく、自分を否定し続ける自分が居着いていることかもしれません。

格好悪い自分を受け入れちゃって、笑いに出来たりさらっと話せる人は強いし、かっこいいですよね。

きっと恥のない人間なんていないでしょう。

まぁ話は戻って、1ー5歳の間に起きたことは本当に性格のベースとなるのか。

私の研究上では完全にYESです。

それは変えられるのか?間違いなくYESです。

乗り越えられるパワーは絶対に内側に秘めています。

前世での自分の経験、先祖という巨大な大木もありますから、どこかしらに必ず解決する能力のタネがあるんです。

ただ、古い思考回路を止めない限り、新しい思考回路は発動しませんから、まずは嫌なことから目を逸らさず受け入れる、そして要らない考えから楽な考えに入れ替えです。

受け入れるというのは、重荷を下すようなもの。

下ろせば下すほど、肩の力は抜けるし、力は抜けるほど他の考えが入ってこれるスペースもできますから、新たな自分が自然と出てきて、「こんなこともできる自分がいたなんて♡」と自分を好きになってきたり、対人関係が楽になったり、やる気が湧いたりするものです。


優先されるべきこと


南インドはモンスーンに入ったようです。

先1週間の天気予報ではランチーは晴天続きなのでゆっくりと北上し、きっと10日後くらいにはモンスーンが到来するようです。

近所の商店のおじさんは、「こんなに暑くなるとは。去年はこんなに暑くなかったけど、今年は何度も43度になって。。。」と嘆いてましたが、インドの商店でエアコンなんてつけているところはなく、店の中はコンクリートの外壁で熱せられ外よりも暑いので店主は大変です。

今日は朝からずっと電気なしのため、エアコンは使えず、電気が来るまでは我慢!



さて、今日のトピック。

全ての人間は、最終的に解脱(生まれ変わりを終える段階)に向けて進んでいると言われています。

時には横道それたり、過ちが大きすぎて後退したりしながらも、それでも解脱に向かっていると。

グルジはまずは自己を知ることがスピリチュアルの入り口であり、それは必ずしも修行に入らなくてはできないわけじゃないと言います。

むしろ仕事や家族を持ちながらでも、仕事や家族を通して自分をしっかりと見つめ悪いくせや考えを捨てて綺麗にしていくことはできる。

ただやる気があるか、変える気があるかにもよりますが。


また、やる気はそこそこあっても間違ったことを正しいと思い込んでいる場合もどこにも進まない。

あるインド人はかなり良い素質を持っているのに、「俺はスゴイし、金もある。スゴイと言われていたい。」にはまってしまって、ずっと成長できない人も見てきました。

その彼がグルジに「もっとお金が入るようにするにはどうすればいいですか?」と聞いてきました。

グルジは「俺はスゴイ、俺が一番で、みんな俺を崇めてくれという馬鹿げたエゴを捨てなさい。お前はリーダーになれる気質がないのにリーダーになろうと必死になる。お前は心は綺麗だが、頭が悪いんだ。なのに頭がいいと勘違いしている。お前がそこまでお金に困らずにきたのは人を欺いたりしない心と前世での徳であって、頭がいいからじゃない。なのにどういうわけだか頭がいいからお金が入ってくると思い込んでいる。お前は自分のことを全く読めないし、世間のことも読めない。エゴの塊で周りはお前のことをクスクス笑ってアイツ馬鹿だよなって言われていることすらわからず、みんなはお前をスゴイ人だと思っていると思い込んでいる。その勘違いに気づかずにいるから成長しないんだ。お前は2番手で成長する人間なんだ。リーダーの下で頑張ることで今よりもずっと裕福になれるのに、お前はリーダーよりも上になってやろうと躍起になる。仮にその会社をやめて自分で会社を立ち上げてみたらわかる。即潰れて終わるだけだ。まずは自分を知ること、自分のマインドがどのように動いて、どんなことを信じて、どんなことに囚われているのかを読みなさい。リーダーの下でまずはしっかり勉強しながら活躍しなさい。そうしたら今よりももっと裕福に暮らせる。」と。。。

随分バッサリと言うもんだなぁ。。。と初めは驚きましたが、何度も言っているのを聞いているので慣れましたが、未だこの彼全然同じなんです(笑

しかもお前は頭が悪いとかはっきり言ってますけど、この方大卒です。

こんなにグッサリと突き刺さるほどの言葉でも「俺はスゴイ」がマインドを完全にハイジャックしているので、グルジの言葉を信じる余裕もない。

これはかなりレアなケースにも聞こえますが、そんなことはないです。

どんな人でも多かれ少なかれ、こういったことにはまっていることがあると思います。

夫婦間なんかでも「自分の方が上、自分の方が出来る人間」というスタンスをお互いに崩すことができず、いつも喧嘩ばかりになってしまったりもあるでしょう。


彼の場合はこういった思い込みがエクスタシーになって、完全にとらわれていますが、それがポジティブな作用であれネガティブな作用であれ、自分の中のドラマに完全に飲み込まれて信じ切っていることは誰にでもあることです。

ドラマに飲み込まれていることに気づくには、完全に客観的に自分を見れるようにならないとなりません。

この彼のようにリーダーになりたいのなら、「なぜグルジはこんなリーダー気質を持つ自分に対してリーダー気質がないと言うのか?何がそんなに足りてないのか。リーダーの持つ気質とはどういうことなのか?」と自問自答したり、リーダーとして活躍している人たちの書物を読みあさったりすべきなんです。

でもその一つも何もしない。。。もう信じているんです。俺はリーダーだからって。

やるべきことの順序が完全に間違ってしまっているんです。

リーダーとして敬われるように口先だけでもうまく振舞う。
そうするとメンバーが集まりビジネスが出来、お金が入るはず。
そして将来は富豪で安泰する。

このように信じているんです。

ですがそれでことごとく失敗に散財を繰り返しているのが現状。

そうではなくて、リーダーになれない気質は何か、リーダーとして何を広めたいのか、何が欠けていて、何が過剰にありすぎるのかまずは自分を知る。間違いに気づき、受け入れ、正し、成功しているリーダーの気質を取り入れるだけの勉強をする。
リーダーとしてふさわしい人間性を磨く。
下準備が整ったら、理想の形を作る。
それまでは勉強期間で今の会社で十分安泰しているのだから安心して暮らす。

と切り替えられたならば、この10年で相当な成長が見られたはずなんです。

でももし10年前にこのようにやりなさいと言われていたとしても、まずやらなかったでしょう。

なぜか。

自分を正して、人間性を磨いていくことを目標にしてないからです。

目標がいますぐ一攫千金で金儲けとチヤホヤされること。

人からすごいと言われていることが人間性が高いと勘違いしているからです。

人からすごいと言われることをだけを集めたい。。。それは実は心の劣等感だったり孤独だったりすることが原因で、人間性を高めることを完全に邪魔している考えであるということに気づけないと、一生このまま終わるでしょう。

何かが欲しい、このような状況にしたい、このような人間関係にしたいと思いながらも、間違ったやり方を先頭に持ってきては押し続ける。

まず一番はじめにやるべきことが一番最後になってしまっていることが大半なんです。

一番大切なことは、一番面倒で、一番時間がかかることかもしれないけれど、一番の近道で一番成功するルートであることが理解できたら急がず焦らず、じっくりと取り組めるはずです。

こういったことに自ら一つずつ気づいていくこと。

そして正していくこと。

これだけでも十分素晴らしい「修行」ですよね。

だからグルジは言うんです。
家族やビジネスを捨てずに修行はできる。それを持ち続けながらも自分をしっかりと見つめて家族と仕事と全て一緒に成長していけばいいと。





やりたいこと

ランチーは2ヶ月ぶりに雨が降りました。

39~41度を毎日繰り返し、朝になると恐ろしい寝苦しさで目を覚まし、水のシャワーを浴びても2時間後には意識が朦朧として眠くなるよな日々でしたが、久しぶりのストームで一気に気温が下がり、ナチュラルなエアコン状態に感動!


最近の食の話。
ここのところ、朝食は全粒粉やオーツ粉を混ぜたナンにはまってます。

以前旅先でグルジが「ナンを食べたい。。。」と言い出し、ナンという物自体タンドリーの釜で焼くもので、どこのレストランでもやってるわけじゃなく、ナンを作っているレストランを探すのにすごい苦労し、やっと見つけたレストランもあまり綺麗じゃなくて結局アンハッピーな結末。。。。

そんなドラム缶のようなサイズの釜は家には置けないので、家で作れるものではない。。。と思い込んでいたのですが

調べてみたら、オーブンでもフライパンでもできるではないですか!家で食べさせたら旅先で「ナンが食べたい。。。」なんて執着しないだろうと思い(探すのが大変!)ガーリックナンやイタリアン風にしてハーブとオリーブナンを作ってますが「家でナンが出た!」と飽きずに喜んで食べてます。


さてさて、

今日のトピックは「やりたいこと」

何かやりたいことがあるって幸せなことですよね。

ただそれで成功するかどうか、または成功するまで頑張れるか、納得が行くところまで粘れるのか、それですぐに職にならなくてもやり続けられるのかが問題ですが。

ある、インド人家族の話ですが

息子が昔のように勉強しなくなってしまって、とにかくクリケットに夢中。

クリケット以外は考えられず、でもどうにか勉強させたいと。

この息子さん、やったこともないのに狂ったようにクリケットに引き込まれてしまってクリケットが見たいがためにテレビに毎日かじりつき。選手の名前は全部覚えているほどクリケットしか本当に考えられないんです。

それ以外には関心も興味もない!

それだから余計にこの両親はどうにかクリケットに夢中になるのをやめさせようと必死で勉強に意識を向けさせたくて、クリケットを見ていると引っ叩き始めるという始末。

「あんな良い学校に入れたのに(私立で高額)何がクリケットだ!」と激怒の日々。

父親は息子を医者やエンジニアにしたかったんです。

こういう親は世界中どこにでもいますよね。

本人の意思にそぐわないのに、無理に自分たちの夢や希望を押し付けて最終的にやりたかった子供の夢は叶わず、その後も子供は何を目的にして生きていいのかわからなくなり大人になっても感性が削がれてゾンビのような人生を歩むはめになるなんてことはよくある話です。

最終的にこの親を説得して息子をクリケットクラブに入れさせました。

息子は嬉しくて、楽しくてより一層勉強しなくなってしまったのですが(笑

でもやればすごい出来る子なので、後々勉強が必要になればやるから大丈夫。それよりもこの子がちゃんとプロになれるまでしっかりとサポートしてあげて。と説得しました。

この子、パワーが半端じゃないんですよ。
夏休みはおじいちゃんとおばあちゃんのところに行く予定が父親の仕事が急に忙しくなって行けそうにないと言ったら「絶対に行く!お父さんが行くって言うまでハンスト(ハンガーストライキ)だから!」って一切ご飯を食べずに本気でハンストやっちゃう13歳。

ハンストで応酬するところがインドらしい!

本当に一切食べないもんだから、お父さんが折れて仕事を蹴って里帰りしてましたが(笑

これだけのパワーがあって、好きなことがはっきりしていて、経済的に余裕でありながら、やりたいことをやらせずに勉強だけに縛り付けておくなんて。

学歴のためにこの子の人生を台無しにしてしまうだけ。

このお父さんを説得し、今では一切暴力はやめてしっかりとクリケットのサポートをしているようです。

その甲斐あって、息子がフレンドリーになり「パパ、あのね僕はもう勉強はま~ったく身に入らないから。ね?もう勉強は無理だよ」って勉強しろとしつこくいうのをやめさせようとお父さんを諭そうとしているそう(笑

だいぶ受け入れられるようになり
先日「息子がクリケットの試合で活躍して賞をもらった!」と嬉しそうに写真を送ってきてました。(話によると、クリケットクラブで活躍していればプロに抜擢されるようになるそう)

やりたいことがはっきりしてるなら、どんどんやらせたらいい。

もちろん親は大変ですよね、習い事はとにかく費用がかかるし、しかもプロ目指すとなったら親は本当に大変だと思います。

でもやりたいことがわからないと感性が鈍ってしまっている状態より、それが何であれはっきりわかっているというのは素晴らしいこと。

このままプロまで行けるとなったら、それは金の卵!

私たちは大人になると、段々とやりたいことを最後までやり抜くということを諦め気味になります。やりたいこととお金がすぐに結びつかなかったり、このレベルまで登りたいと思っても時間がかなりかかる、または時間もお金も投資しても成功の保証がないとか、いろんな理由を挙げては続かなかったり、始められなかったり。

始める度胸や勇気がないという人たちもたくさん見てきました。

始めることも内容によっては大変ですが、続けることはもっと大変。。。。

でも本当に好きだったら成功の保証とか考えられないはず。成功でも失敗でもそれが本当に好きだったらそれ以外に道がないし、それを完全に満足するまで追求するはず。

グルジは本当に一つのことが好きで、それしか自分にはないと思えるほど打ち込めるものがあるなら12年って言ってます。

12年頑張れたら、何かしらの結果が必ず出ると。

ちなみにグルジは「行」に入り15年。

自分の行から得たことを書籍として世の中に貢献したいんです。

「3年も遅れてるじゃんっ!」って発破かけてましたが、ついに本が完成に近づいてます(笑

真の理由

覗いてくださってた皆さん、なかなかアップできずにいてすみませんでした!

もしかすると、インドでのたれ死んでいるかもしれない。。。とご心配された方もいらっしゃるかもしれませんが(笑 
近いものはあるものの、39度の中ギリギリ生きてます!

セッションが終わってから暫くは自己浄化の期間に入り、その後グルジの本の編集に集中していました。科学とか物理とか全く私のジャンルじゃないのでよくわからないし。。。これがまた結構ハードで。

でもグルジは「あー大丈夫。君は本当に自分のジャンルじゃないと思っているけど、前世でやっているから携わっているんだ。そうでなきゃこんな作業は任されることはない。問題ない。進めてくれ」と。。。

すごい他人事のような言い方で。

でも本当に不思議なんですけど、そのエリアについて全く勉強してないのに、グルジが何か難しいことを投げかけてくると、間髪入れずに答えがバンバン出てくる。答えというか、映像が上がるんです。どういうわけだか対等に論議したりするんですよ。これが不思議で仕方ない。

でもスイッチが入ったときにしかわからないので、スイッチがオフのままじゃダメなんです。

映画「君の名は」観ました?

あの映画で黄昏時が過ぎると記憶が思い出せなくなるじゃないですか。

あんな感じで、物理とか科学もあのとき話したことを思い出そうとしてもよく思い出せないんです。

グルジは「あーチューニングし直せばそのうちちゃんと思い出せるようになってくる」と言ってますけど。。。

さて、
もう1ヶ月以上39度が続いている状態で、ついこの間まで食べていたデーツやカシューナッツは全く食べれなくなりました。。。

デーツもカシューナッツも身体を温める食物なので、そういったもの食べると身体がオーバーヒートしちゃって大変。

インドはサラダ系のものがないんですよ。インドのサラダって、キュウリと大根、玉ねぎの輪切り。。。(レストランでも家庭でも同じ)1センチくらいにバツンと切っただけでドレッシングもないし「美」も何もないんですけど、こっちでレタスなんてものはないのでサラダというのはこういったものなんです。

普通にカレーを食べながらバリバリと大根や生玉ねぎをかじる。。。

結構びっくりするんですけど、レストランやよそのお宅でご馳走になるときに食べてみると、あぁ悪くないかもなんて思ったり。

こんなに暑いのに葉ものの生野菜がないので「そうだアルファルファだ!」と思いつき、アルファルファのタネを購入し発芽させてます。

グルジに「アルファルファってしってる?」と聞くと、「聞いたこともない」と。
絶対知らないと思ってたけど(笑

インドではアルファルファは殆どと言っていいほど流通してないので、アマゾンでタネを購入。

発芽させてどっさりと食べさせると、「このアルファルファアルファルファはとてもいい!この暑い期間は毎日食べよう!」と大のお気に入りになりました。

あまりに真剣に言っているので爆笑しながら「グルジ、1回でいいの、アルファルファアルファルファじゃなくて、アルファルファ!」っていうと、「え?」って目を丸くして素でびっくりしていた。

グルジはすっごいド真面目な人で、ジョークも通用しないしカタすぎるところがあるのですが、実は結構天然っぽく、そこで爆笑させてもらえるので面白い人なんです。

まだこの先1週間の予報は雨無しで41度まで行くみたいです。エアコンあるでしょうとお思いかもしれませんが、エアコンがあっても電気がなければただ崇めるしかないので、電気が来ないと”いつか冷風をもたらす神棚”のような存在。。。

今日は全然電気来なかったね。。。なんて日も結構あるんですが、なんとか乗り越えてます。

近況はこのくらいにして、

今日はグルジと「ブレないところにたどり着くまで」というトピックで話していました。

グルジは「ブレずにある一定の平静を保てるのは、極端に何か、誰かを好き、または極端に何か、誰かを嫌いと感じることの真の理由を自分で見つけ出すことだ。その真の理由は頭で思っていることや、人が見てこれが答えだろうと思うのとは違う理由が隠れている。それを見定められない限り感情に振り回されるだけになる。そのように過度に好きで執着する、または大嫌いな理由を知るというのは、自分で人生の道を切り開き、道を作っている作業になるんだ。そしてあるところまで辿り着くと、もう道を作る作業がいらなくなる。もう進む道も出来ているところに来る。

それはどういうことかというと、もう道を作らなくてところまでくるのに、1000キロの距離の雑草を切って進まなくてはならないとする。始めは1日に10メートルしか出来なかったのが、段々と早く出来るようになり1日1キロも進めるようになり、1日5キロのスピードで進めるようになり、それが限りなく速くなった時は自動的に素早く答えがわかる状態にくる。そうしたらもう道を作る作業は必要なくなる。自分を知るというのはそういうことなんだよ」と。

なるほど。

道を作っているかぁ。さすがうまい表現だなと思いました。

でもこの作業が長くて挫折するような作業なんですよね。だから途中でやってもやっても終わらない。。。って嘆きたくなる。

ここでグルジのいう過度な好き嫌いというのは、好きと嫌いだけではなく、感情的に激しく揺れることを指してます。過度に恐怖を感じるとか、過度に悲しく感じるなども含まれます。

「長いだけならまだしも、かなり難しいですね。。。」とグルジにいうと

「そうだよ、だからみんな恍惚感を外に求めるんじゃないか。恍惚感というのは内側から得れるものだけど、そう簡単に得れないから外から求めて埋めようとする。でもそういうことをやっている自分に一つひとつ気がついていくこと、内側に恍惚感があることを多くの人はまだ知らないんだ。」

「いきなり何かによって、途中から道を切り開き終わったところに辿り着いたりすることはあり得ないでしょうか?切り開くような作業をやってなさそうな人たちが、切り開いた境地にいるように見えることもあるけど。。。」

というと、グルジは「そう見える人たちもやはり必ず一人になる時間をとっている。例えたくさんの人に囲まれているような行者であったとしても、自分でこの3日間は誰とも話さないなどと決めて必ず自分の内側に入っていっているんだ。人が周りにいようがいまいが、一人になること、一人の時間を持つことに苦痛やストレスを感じる人はまずこの作業はできない。一人の時間を設け一人の時間を心地よく過ごせる人は、この作業に向く人だ」

と言ってました。

パラマハンサ ヨガナンダジ も言ってますがやり終え損はない!この道を切り開くような作業も、今世では60%までしか達成できなかったとしても来世ではその60%の位置からスタートになるからゼロから振り出しにならない。これは唯一救われる言葉でもありますね。

まずは自分の声をじっくりと聞くこと。

これが出来ないと何も始まらない。

表面的に聞こえてくる声は簡単に聞き取れますが、真の理由はなかなか聞こえてこない。

真の理由はボリュームが小さいから、そう簡単に聞き取れないんです。

その上表面的な理由のボリュームが大きすぎたり、絶対自分は正しいと言い続けることで、ブロックにもなってしまうし。

ですので、じっくりと自分の声に耳を傾ける練習をしてみてください。

過度に感じる感情の真の理由を見出していくのは、まるで埋蔵金発掘です。

すごい財産であることがわかります。

感情中毒

この間インドで変わったニュースがありました。

インコがアヘン中毒という見出しで。

インドのある村で、医薬品として使うためのアヘンを村人が政府から仕事を得て栽培しています。

さすがにアヘンだけあって、密売されることもあるでしょうからケシの実の数すらきちんと数えてあるんだそう。

それなのに収穫時には激減している。。。

村民が密売しているんだと政府は疑ったそうですが、村民は「私たちは政府のお給料で食べていけてます。もし密売して罰金なんてことになったら私たちはこの土地を全て売っても支払いきれないし人生は終わりです。人生を完全に失ってまでして密売しようなんて思ってません。。。」と。。。

そして政府も疑いの余地がない光景を目にすることになった。

野生のインコが来ては食べたアヘンの実を口移しで別のインコにも食べさせ「ね?美味しいし気分良くなるでしょう?」とどんどんアヘン中毒になってしまい、数も増え止められないのだそう。

インコも気分が向上する感覚を味わうんでしょうね。

人も好きか嫌いかは別として、薬物なしに感情や感覚に依存的な中毒を覚えるのはよくあることです。

自分はすごいと言われたい!っていう承認欲求なんか、すごい中毒になりやすい。

そう言われたいがために、なんでもやっちゃうほどにもなりかねないし、山ほどブランド物買っちゃったり。

嫌だと思いながらも怒りも中毒性がすごい。

自分の方が上というのをアピールすることで、実はとても気分が良くなっている。

喧嘩ばかりしてるカップルなんかも、お互いに「あんたは私より下なのよ」と蔑みあってバトルになってるなんてことたくさんありますよね。

下に扱うことがある意味気持ちがいい!

常に不平不満を漏らし続けるのもかなり中毒性ありますよね。

これいつも言っている人は、やめるとなったら相当なストレスになるでしょう。

不満を周りにぶちまけることで、鬱憤ばらしになっているし、自分の思い通りに周りをコントロールできているかのような錯覚すら出てくる。

ストレスのはけ口にされている人は完全にエネルギーがズドンと落ちるじゃないですか。あれ吸われてるからなんですよね。

吸った側は25%でも相手を貶めるとかがっかりさせるとか、苛立たせるとかあらゆる手法で吸い取って若干気分がマシになる。

手っ取り早く自分にエナジー補給には最適だからやめられない!

私って弱いの。。。みたいなのもかなり中毒性がある。

弱い人を演じることで、この人は弱いから優しくしてあげなくちゃ、助けてあげなくちゃって思わせるという手段になるので、いつも弱々しくいることで人に甘え続けるどころか、お金もエネルギーもみんな吸っちゃお!みたいな弱いように見せかけてあなたよりも100倍上手だったり。。。。

問題がないのに、問題を作り出していたい人もいますよね。

経済的に普通に食べれているのに、もっと欲しい!少ないから不安ってずっと不安になり続けていたい中毒。

でもこれは人によって違うでしょうけど、そうやって夫を煽ることでストレスのはけ口として勝っていたい中毒ってのもあります。

子供にいつも怒鳴りつけて「あれしなさい、どうしてこうしないの」とコントロールしてうざったがられ、良かれと思って言っているつもりが裏目裏目に出て、結果反抗心ばかり作りあげている親。

自分がやりたいことが出来なかったとか、今でも出来てない親は特にストレスのはけ口に子供を使ってしまったり。

子供がどんよりしていると感じるなら、子供からエネルギー奪ってますね。

人間って常に競争心があって勝っていたい。

競争心も何かを頑張るために使うのはいいでしょうけど、人のエネルギーを吸って勝つため、自分を満たすためになると、いずれどこかで自分で尻拭いのときがやってくる。。。

これは間違いない!

ネガティブなエネルギーを溜め込んでいる人、そういう発想や思考でいつも物事を捉えている人は自分の中のエネルギーが常に枯渇しているような状態だから、寝ようが食べようが全然チャージされていないような状態。

エネルギーは怒りや不安で人から吸い上げても、一時的に気分は良くなりますが、根本的なところはなにも変わらないから結局同じことを何度も繰り返すだけ。

じゃ、やめましょう。と言ってもそう簡単にやめれないもの。

だってもうすでにアヘン中毒同様、感情や感覚の虜になって、味を占めてしまったからやめられない。。。になっている。。。

さあ、どうしましょう。。。

まずは、ステップとして

一度ニュートラルに入る必要があるんです。

自分を外から見る必要があります。

自分の言っていること、やっていることをよーーーーく観察してみる。

起きてから寝るまでどういうことを考えて、どんな行動をとったかをしっかりと書き込んでみるともっとわかりやすくなります。

あるひとは「起きてから寝るまで今日はどこから金が入ってくるか、どこから仕事が得れるか、金のこと以外何も考えていないほど金のこと考えていて、何パーセント自分の取り分としてこっそりポケットに入れようとか考えている自分に驚きました。」って言ってたインド人がいました。

それが当たり前になると、そんなふうに毎日考えて過ごしていることすら意識していないんです。

改めて意識すると、「うわ。。。。自分って。。。。」って驚くこともあります。

その後、「なんか、こっそりと自分のポケットにはいくら入れようとか考えている自分がだんだん嫌になってきました。。。」って。

ほらでた!

ただ客観的に観察すると、やめるべきことが見えてくるんですよね。
それまでは意識してなかったのに。

観察している自分はニュートラルにいる自分。

外から傍観している自分がいて、良い悪いを何もジャッジせずに自分を観察するだけでいいんです。

もしブランド物を買いあさって「すごいでしょう?」と振る舞っている自分をただ外から眺めることが出来たら「他に誇れるものがないんだな私。。。ちょっと恥ずかしいかも・・・」って思える自分が出るかもしれない。

それよりも何か別に手に職でもつけるか。。。。と思えるかもしれない。

ただ中毒の感情の中から観察しようとするのは出来ない。

そうしていることが正しいって思い込んでいる中で傍観することは出来ないんです。

酔っている状態でシラフにはなれないのと同じ。

もうすでに酔っ払っているのだから、会社の鬱憤ばらしに通りすがりの人がちょっとぶつかってきたからぶん殴った!というのも、その時には「正しい!」と思ってやったわけでしょう。

でもシラフになった瞬間、「あぁ。。。。なんてバカなことしたんだ。。。」となる。

泥酔状態の間に反省する人はまずいないでしょう。

だから普段感情的になっている自分のパターンから抜け出したいと思うなら、一度シラフになって一体自分はどういう考えや行いをしているんだろう?って見てみるんです。

その感情から一度離れて、外から見ることが出来たら絶対何かしら気づけます。

一つ、中毒になっていても救いとなるのは

中毒になるのが悪いわけじゃない!

それも経験として必要なだけ。

問題はそこから出れずにずーっと中毒状態でい続けること。

どんなことであれ経験って必要じゃないですか。

経験してこの手を使ってなんとかしようとしたけど、上手くいかなかったからやめるとなるわけで、経験しなかったらそれが長期的には役に立たない、時間の無駄であるとも気づかない。

たくさん経験すれば、上手くいかないことを捨てて、上手くいくことを増やすことが出来ますしね。

でも一度でも「この方法は無駄だ」と本気で悟ったら、絶対戻りませんから。

戻るとしたらまだそれは無駄だと悟りきってない。

もう一度傍観しなおして、別の道は何があるのか見極めてください。

救いの道がないということは絶対にあり得ないのですから。

必ず中毒であれなんであれ、入ったのなら出口がある!

自分を傍観するって簡単に書いてますけど、結構トレーニングいります!

「ダメだ」ってすぐにあきらめないでください。

これが出来るようになったら、まず自分の感情に振り回されることが少なくなり

怒りも不安にも、逆に快感にも執着しなくなってきます。

それらは普通に感じますよ。

ただ執着する必要がなくなるんです。

必要な時に感じれば良いだけで、必要じゃない時にまでいつまでも感じ続けて自分を無駄に振り回すことが不必要ってなるだけです。

そうするともっと楽に今この瞬間を生きることにフォーカスできるようになります。

地球劇団

自分の悪いところって結構みんな自分で気づいてますよね。

はっきり言えずにウジウジする癖があるとか、家では鬼嫁なのに外では誰一人として家ではそんなと想像が出来ないほど良い人になっているとか、ダメだと思っても子供を引っ叩いているとか、挙げたらたらきりがないですが、ダメだダメだと思いながらも同じことを続けている。。。

私もやめれないメンタルの悪いクセをヒーリングで浄化しちゃったりと数々やってきましたけど、100%自分で改善できるものです。

変えたいと思っている人もたくさんいますが、いつまで経っても変わらない人は、まだ本気で変わらなくてはいけないとは思ってないんです。

変えなきゃいけないな。。。程度で、緊急性を感じてないし、もう限界だという壁にぶつかってない。

この自分ではもう私は生きているのもうんざりするほど嫌だ。絶対に変えてやる。

とまではまだ思ってないんです。

もし伴侶が半年で死ぬって言われたら、今まで喧嘩ばかりしてた人も優しくしてあげよう、最後の時間を良い形で過ごそうって自分を変えるでしょう。

または自分の性格によってこの上なく深い傷を負ったときや、今までしてきたことが完全に間違っていたと本気で気づいて後悔したとき人は大半変われるものです。

でも難しいのは、そのいずれも経験してなく壁にぶつからないと、まだ中途半端に耐えられる痛みだからそのままいけてしまう。。。
すごい苦痛なのに。。。

問題はそこから抜け出してもっと穏やかで、気持ちよく生きれるということや、その感覚がわからない、またはわからなくなってしまったというのもあると思います。

いつも嫌なパターンを繰り返している自分はこうだけどその代わりにこうなれたら最高だと思える自分を想像してみてください。

その自分はどういう心構えや思考や態度やエネルギーを持っているのかをじっくり想像して感じてみてください。

書き出してみると頭で想像するより楽に出しやすくなります。

その感覚や態度を今の自分に適用してみます。

こんなの嘘の自分を作っているだけじゃん。だってそもそも私はジメジメ、イライラしているのが真の私であって、そんな今までとは違う夢のような自分を演じたって、ただ演技に過ぎない。そんなことしても無駄だし、本当の自分はこれじゃないから、素じゃない自分を出し続けても苦しくなるだけ。

こんなふうに思うことありません?

これも一つの自分にかける「呪い」みたいなもんですね。

お前はジメジメ、イライラしているのが本性で変わることなどできない存在だ。なぜ無理してポジティブになろうとする?そんなことをしたって無駄なことだ。お前の魂はそもそもそういう性質だからそこから脱出することなど出来ないんだ。それがお前の宿命だ。せいぜいお前をそんなふうにした親や恋人、友人、環境でも責めていればいい。できるのはそのくらいだろう。

と自分で自分に言っているようなもの。。。

会社のせい、親のせい、環境のせい。。。

そして気がつくと、その自分で発する呪いの声の方が間違いないと判断を下して、またジメジメ、イライラをずっと続けることになる。

全ての人の中にポジティブなエネルギーもネガティブなエネルギーも持っていますが、ネガティブなエネルギーが膨らみすぎてしまうと自分のことが好きになれなくなり、どんどんこのような自分を停滞させたままでいさせる呪いのようになってしまいます。

これってかなり怖いです。

呪われているんじゃなくて、自分でそのまま苦しみの中にいろって呪っているんですから。

自分をもっと明るくしてみよう、優しくしてみよう、とするときにネガティブなエネルギーが水を差してくるようだったら、「あなたの存在はいらない」とバシッと蹴り出してしまうだけで静まります。

蹴り出せるのもあなたで水を差すような呪いをかけているのもあなた。。。

これがマインドのトリックなんです。

そしてどちらと友達になるのか。

呪いをかける自分と仲良くなると、自分も周りもカビカビになっちゃうから、くれぐれもそちらと手を組まないように。。。

なりたい自分になれるように演じるのは演技なのか?

別の言い方をするなら、ネガティブなのが私だし。。。とその自分でいること自体もそれを演じていることになる。
ネガティブでいるのが普通で当たり前で、それを演じていたいだけ。
死ぬまで何かしらを演じなければならないんですよ。
この世に生まれたこと自体がもう舞台に降ろされたのですから。

降ろされた舞台の端で「怖いよ」って泣いてばかりいるのも演技で、ずっと泣いてるのも疲れたし面倒くさくなった。次は走ってみよう!というのも全て演技じゃないですか。


どんな役割であれ、生まれた以上演じないわけにはいかない。

この世は劇団です!

あなたという役割をどう演じるのかが人生なのですから。

ならばこれを演じてみたいというのを演じてみたらいいだけのこと。

でもそれをするには想像力が不可欠!

想像力がないと、親の丸写しの性格のままで私はどうせこう。。。とか世間がやっていることを真似るだけが人生だとなってしまう。

そうすると、「こんなわけがない!他の人たちはもっと楽しんでいるのになんで私だけがこんなに苦しむなんて!」と周りに当たり散らすか、他の人のエネルギーを吸い取っては、自分のエネルギーにしようとする。
こういう人は相手の力になる会話をすることが殆どない。。。

ちなみに明るく楽しく生きているように見える人が本当に苦しんでないのか?

そんなわけないじゃないですか。人一倍苦しんでます。
苦しみなくして、明るくなったり人の力になるなんてできないはず。
辛酸を嘗めきって他の人も苦しんでいるのがわかるから逆のことができる。
そういう人たちは壁にぶつかっても乗り越えられるのを知っている人だから、人からエネルギー吸い上げようともせずに想像力を膨らませて、自己解決の道を見出していってる人たちです。

話が横道逸れてしまったので、ちょっと戻しまして

想像力をあげて

例えば、金持ちになりたいとする。

だから借金して山ほどブランドスーツ買って金持ちを演じてみるとかそういうことじゃないですよ。(身の程を知るのは大切です。でもいつものヨレたTシャツとは違う綺麗な格好をしてみるというのはいいと思います。)

そして金持ちになりたいなら、金持ちの人はどういう思想を持っていて、どういう行動を取っているのか、どう自分を扱い、どう人に接しているのかを本人または書物から勉強し、そういう思考やそういう行動を取れるように真似てみる。

お金さえあればいいのか、またはお金だけじゃなく、人との関わり方もエキスパートでありたいのか、自分はそういうふうにもなりたいのか?

自問自答してみてください。

「どうせそんなことしたって、私が金持ちになんてなれるわけない。。。」って言葉が出てきたという場合

「お前みたいな人間に金が入ってくるとでも思ってるのか?お前みたいなやつは、ビンボーで苦しい人生を歩むくらいで丁度いいんだよ。何も大してできない人間なんだから、金持ちになろうなんて100年早いんだよ」

というように、(人それぞれいろんな声があるでしょうけど)どこか深い潜在意識が言っているのを受け入れて(それすら聞こえてない人もいますが、無意識的に聞き入れているんです)

そして潜在意識の言葉を「その通りだ。。。」と受け入れた頭は「私にはお金は入らない」と確実に自分で言っているのも実感できる言葉となり、諦めになり、努力もしなくなる。

お金を例にあげましたが、全てにおいて同じです。

何よりも怖いのは、こういった声を受け入れること!

受け入れなくていいんですよ!

受け入れれば受け入れるほど、自分はダメだ、自分は変われない、どうせ自分なんて。。。で堂々巡りする。

新しい考え方や行動パターンは、1回や2回じゃまず変わりません。

新しいエネルギーに入れ替えて、それを馴染ませることで「私できない。。。」という古いジメジメ、イライラが追いやられるのですから。

追い出すには、新しいものが必要です!

嫌だと思いながらも同じ自分でずっといる人は想像力が欠如しているんです。

だから発展の創造にも繋がらない。

呪いの悪魔を蹴り出すのは簡単。

「お前の出る幕ではない。お前の話は聞かない」と一蹴してください。

そして瞬時になりたい方の自分の思想にパワーを注ぐ。

やると決めればやれる。

新しい自分のパターンを何度も使うことで、古いパターンは徐々に消え去ります。

さぁ、この地球という劇場で何を演じてどんなエネルギーを拡散しましょう?

そのままの性格でもいいし、変えてもいいと自由に選択できるように神が創ったのですから、自由に楽しまないと!

メンタル コントロール

こういうタイトルを書くと自己啓発系みたいな聞こえですけど、自分の感情をどこまで自分でコントロールできるか。

マインドのアクセルとブレーキをどのくらい上手くかけれるのか。

これが上手くできるできないで人生は雲泥の差が出ますよね。

踏まなくていいときに思いっきり怒りのアクセル踏んで大喧嘩とか、もっと勇気や愛情のアクセルを踏むべきところブレーキ踏んで出し惜しみとか。

逆の踏み方をしているだけなんですよね。

わかっているけどなかなか変えられない。

私もここは苦労しました。

つまらないことでイライラしたりすると、あまりの気分の悪さに自分で自分に辟易してくる。。。

あるとき、もう十分。苛立ちを何時間も引きずるのはやめると決めた。(昔は何日も引きずった)

今は5分以内で心の中で解決。

これはある意味すごい特訓でした。

一切怒らないと言うのは不自然だし、怒っているのに押し殺すのも不健全。

怒る必要があるのか、適切なのかをジャッジしなくてはならない。

瞬時に怒りが上がったとしても、これは怒る必要のないこと。と切り捨てることもできる。

ですがちょっとその前に、

基本的にしょげやすいとか苛立ちやすいとか、不安になりやすいなどの場合、何がそうさせているのかをしっかり向き合う必要があります。

例えば親に愛されなかったと感じているとしたら、他人から優しく扱われない、自分に気を使ってくれないとなると、激情型になりやすくなったりします。

常に経済的に不安を持っている場合は、人生よりもお金の方が価値が上がってしまい、使った、使わないで揉めたり、俺の方が稼いでいるから横柄な態度を取っても当たり前になったり。

でも実際にはこういった中にかなりの「甘え」があるんですよね。

親から愛されなかったから、他人は皆私に優しくすべき!とそう頭では考えてはいないでしょうが、潜在意識的に間違いなくそう思ってます。

理不尽なことで怒っていても、自分の中では当たり前に思うので、理不尽だとか甘えであるとも気づかなくなってしまう。

相手が私に気を使わず、理想通りに優しくしてくれないから私はこういう態度をとっていいという甘え。

そういった甘えがある限り自分の感情をコントロールするのはかなり難しいです。

まずは自分の心の何を満たしたくて、周りに甘えているのかを理解する必要があります。

理解されてないと思う人は「私のことを理解して!正しいといって!」

自尊心が低いと感じる人は「私はすごい、できると人だと認めて!」と。

本当は自分の心は自分が一番聞いてあげなきゃいけないし、自分が一番の理解者にならなければいけない。

でも人に自分を理解させる、人が自分に優しくすべきという甘えの手段しか取らなくなると、(それも一時的にはいいでしょうが)心の根底が満たされない不幸せな状態をキープしながら、この不幸せに感じている何かを勃発させないよう周りが私をきちんと扱ってね。になってしまう。

そのように周りが動かないと「なんで?」と。

自分が自分をきちんと理解し、きちんと向き合っていたら「わかってよ、優しくしてよ」と相手に求める代わりに、わかってあげよう、優しくしてあげようと自然に移行します。

甘えて人から得れないとなると苦しくなると感じることもあると思います。

でもそれは逆。きちんと自分の苦しみや悲しみの根源に向き合うのならそこの器は大きくなります。だから人からのエネルギーで埋め合わせなくても自分の中に自分の安心感がきちんと湧いている状態です。

ちょっとしたストレスを当てつけるのも甘えですよね。

人に対して出してしまう前に、会社のストレスなのか、心の穴なのか、不安なのか、何が原因でそれを出してしまっているのかをきちんと自分で探る必要があります。

心を鎮めて内観する時間を取れば取るほど、「この苛立ちは彼女にフラれた悲しみや悔しみを母親のちょっとした言葉に対して苛立ったふりして膨らまして当たろうとしているだけだ・・・」と出す前に気づくことが出来るようになり、人をはけ口にする前にスッとやめる選択もできる。

言葉って怖いもんで刃物のようにもなりますし、良くも悪くも心に残ることがある。

感情的になりやすい人は、まず感情のコントロールの前に自分の感情の根源と向き合って理解してあげてください。

それでも感情を誤発射しちゃう時もありますよね。

誤発射であるとわかっているなら、「だって、あなたがそう言うから」などとなすりつけずに、5分以内に謝っておく!

もう自分の感情を人に面倒見てもらうことをしない!

そういう甘ったれた考えを捨てて自分の感情はきちんと自分で理解処理し、不必要なところで余計な感情を出さないと心から決めるのであれば、絶対できます。

出来ると思えば出来る。出来ないと思えば出来ない。

これができるとすごい穏やかになるのは間違いないです!

心が穏やかであれば人に対しても寛容になれるし、不必要な問題が激減し、やるべきことにもっと集中できる。

決意とともにしっかり内観して苦しみを受け入れ、自分を理解してあげてください。

コミュニケーション

ここ最近はずっと書けずにいて、覗いてくださってた方すみません。

読みたい書物が山積みになっていたので読書に明け暮れてました。この読書がふか〜い境地に連れて行ってくれる役割を果たしてくれ、これはこれで素晴らしい経験や気づきになりました。
ただしばらくヨガと瞑想が少なかったのもあり、バランスを取り戻そうと思いもっとメリハリつけてしっかり瞑想もヨガもやり始めてます。

インドはすっかり夏です。

2月半ばを過ぎると突如暑くなり、28度くらいが平均になってきます。

数日前は31度になり、うわーきたきた!と夏を感じさせられました。

とはいえ、湿度が低いので日差しは強烈ですが、家の中は25度くらいでサラっとして暑くは感じないです。


最近は南インドの料理で「イドリ」にはまってます。

実際には、はまっているのはグルジで私ではないのですが。。。

米とウラド豆を一晩浸して、攪拌しイドリ用蒸し器で蒸した、米蒸しパンみたいなもの。(玄米でもできる!)

それをココナツのチャトニーで頂くという、暑い南インドらしい料理。

これをある日朝食に作ったら、

「こんなに美味しいイドリはない!これを食べるとすごいリフレッシュするから、暫く毎朝これにして!」と。。。

イドリ食べてリフレッシュって。。。そんなのあり?と思いながらも作るの結構面倒なんだけど、頑張ってます(笑

でもやっぱりインド料理は美味しい!!!

(写真は借り物ですが、こんな感じの食べ物です)



さて、今回はコミュニケーションについて。

人とうまくコミュニケーションが取れない人っていますよね。

以前は私も決して得意ではありませんでした。

外ではうまく出来ても、うちではうまく出来ないとかもあるでしょうし、外も内もダメだったり、両方うまく出来る人もいますね。 
インド内でも見てると内でも外でもうまく出来ている人は少ないかなって思います。

コミュニケーションでとても重要だと思うのが、相手の言っていることをちゃんと聞いているかどうか。

聞いているようで聞いてない人かなりいますよね。

友達が何か大切なことを言っているのに「あーうんうん、大変だねぇ」でサラッと終わらせたり。

こんなことがあって大変だった。。。と言っているのに、「私はさぁこういうことがあってー」と共感することもなく、自分の話にすり替えて自分の大変だった話を聞かせ始めたり。。。
「あなたが今嫌な思いしてる?私だって嫌な思いの話ならいくらでもあるのよ!」という会話ですね。

それとか悩みは聞かないけど、私はいつも楽しんでいるんですー!っていうのを聞かせたがる人。あなたよりも私の方が人生楽しんでいるというのを証明させたい、承認欲求みたいなマウンティングになっていたり。

家の中でありがちなのが、「自分の思う通りにみんな動けよ?」といった口調で「なぜ言った通りにやらないんだ?」と自分を満たしてくれと言わんばかりに独裁者で優越感に浸っていたり。

こういう会話をしているところは、愛想尽かされますよね。

初めの「あーうんうん」とサラッと流す人は悪い人じゃないけど、話を聞く習慣がないから、そのうち「あの人は聞いてくれないから」と言わなくなる。。。

自分の話にすり替えるっていうのも結構ありますね。

自分のことを話したかったのに、結局聞くハメになり毎回そうなると相談しなくなる。。。

自分の方が上みたいに言いたい人のところは「出た自慢話。。。」と遠ざかりたくなってくる。。。

最後の独裁者は、心の弱さを周りに当たっているだけで、まだ捨てられてないならラッキー。

誰もがそうでしょうが、聞いてもらいたいし、認めてもらいたい。

「大変だった」と相手がいうなら、「それは本当に大変だったね」と一度しっかり聞いてあげるポジションに徹してあげるのも大切。

自分のことに一生懸命になりすぎて人のことまで構ってられないみたいな会話になっていることも結構ある。

これだといい関係が持続できないです。

外ではうまくできるけど、家では出来ないという場合は、すごい壁がありますよね。

他人にはいい顔できるけど、家じゃ容赦しないみたいな。。。

この壁を叩き壊すのはかなり勇気のいることであるけど、叩き壊せたら外で今までうまくやっていたというレベルも、実は結構表面的だったりした部分も、もっと質が上がるはずです。