オンライン セッションのお知らせ

3月25日(日)から4月7日(土)までの2週間受付いたします。

時差の関係により、一番早いセッション開始時間は日本時間の正午12時オーストラリア時間QLD州の13時から22時までとさせて頂きますのでよろしくお願いします。

ご希望の方は第三希望までご都合の良い日時をお送りください。

ホットメール、AU、ドコモのEメールをご利用の方は、時々返信が届かないという不具合が発生しているようですので、24時間以内に返信が届かない場合はお手数ですがスカイプの方に直接メッセージをお願いします。

スカイプ名 :  yukiekohata  / Australia

Eメール :   info@yukiekohata.com
:   spiritual-counselling@hotmail.com

グルジが修行を積んだ洞窟

まだグルジに出会う前、あらゆる洞窟で修行を積んできたというのは話に聞いていたのですが、なんと、そのうちの一か所を訪れる機会が訪れた。

ラジャスタン州にある Mt Abu と言うところ。
グルジはいつも「君は絶対マウントアブを気にいるよ」と何度も言っていたのだけど、あまり期待はしてなかった。
(インドは期待しても期待しても、大概結果は同じ。大気汚染に道はゴミだらけでとにかく汚いというのが付いてまわる!!!)

去年、巡礼に出ることを決めたのですが、行き先は3か所くらいしか決めてなく行ってから電車の都合などで進めようということで、出発。

ジャイプールからスタートし、最終的にこのような順序になった。

ジャイプール ➡ アジメール ➡ ジョードプール
➡ ジャイサルメール ➡ マウントアブ ➡ ウダイプール
➡ ウッジャイン ➡ アマルカンタック ➡ ジャバルプール
➡ オムカレショール ➡ メイヤー ➡ カジュラホ
➡ ハルパルプール ➡ オーチャ ➡ リシュケシュ
➡アルモラ帰宅

ラジャスタン州とマディヤプラデーシュ州。

ちょっと一度にまわりすぎた。。。

 

電車でマウントアブの最寄駅である、アブロード駅に早朝3時に到着。
マウントアブまで行くバスは7時。。。
タクシーで登ってしまうこともできるのですが、すべての宿がしまっているとのことで、朝の4時から探すこともできない。

駅付近の宿は開いているので、この4時間仕方なしに駅前の宿を取ることにした。

同じ電車で下車した男性が「あなたたちマウントアブまでタクシーで上がる?上がるんなら一緒に行きたんだけど。。。」と。

そう言いながらもスクーターを持っている。

スクーターがあるのに、タクシーに同乗したいってこと?
なんか意味がわからない。。。

「バルが来るから、車の後ろにぴったりついてないと怖くて走れない。あなたたちがタクシーで上がるなら自分もその後ろ走れるけど」と。

バルとはなんと熊!

マウントアブの山は熊だらけだそうで、一人で真夜中スクーターで走ると襲われる可能性があり、危険なんだそう。

残念ながら彼には別の人に当たってもらった。

朝7時、駅でお茶をしてバスに乗りこんだ。

普通のローカルバス。

晴天で、のんびりと登りだすと

それはそれは美しい景色が始まった。

朝まで待った甲斐があった。。。

ゴミと大気汚染のインドの印象を覆し
まさかこんなに美しい自然がインドにまだあったとは心底驚いた。

「世界の車窓から ~マウントアブ~ 」。。。と
音楽が頭の中に流れてカメラにおさめている気分。
(20年くらいまともにテレビを見てないから、今でもこの番組があるのかわからないけど)

さらに登るとパームツリーがたくさん生えていて、高地なのにトロピカルな雰囲気が出てきた。

マウントアブに到着。
大きな湖がある。

湖の周りの遊歩道

美しさでいうとガンジス川の源流、ゴームクがダントツトップで
インド内ではここがその次くらいに美しかった。。。

グルジは以前1年くらいマウントアブで暮らしたそうで、ここに住むグルジの友人、チャーリーが出迎えてくれた。

チャーリーはトレッキングマスターで、トレッキングのガイドを長年やっている。

チャーリーはこの日はお休みで、1日付き合えるということでグルジの住んでいた洞窟を一緒に見に行くことになった。

グルジが住んでいた洞窟についに到着!

セメントで壁が作られ、ドアなんかもしっかりついてて、私が想像したより進化している洞窟だった。

でも中は本当に岩肌だけで、洞窟なんだそう。
今は別の人が使っていてロックされていたので、中は見れませんでした。

グルジの洞窟のすぐ上には別の洞窟もあり
知人が長年住んでいたんだそう。

少し離れたところには、こんな素敵な洞窟もあった。

洞窟の中は本当に岩だけで雨が降ると中がジトジトになり大変なんだそう。

その後チャーリーは

「マウントアブに二人珍しい行者がいるんだ。でも滅多に会えない。僕はこの半年何度も足を運んだけど1度も会えてない。
会いに行ってみよう!もしこの日、この二人の行者に会うことができたらすごいラッキーだよ。」といい

幸運を願い、行ってみることになった。

一人目の行者はチャーリーのグル(師匠)だそう。

マウントアブは政府の規制がとても厳しく新しい建造物は一切建てられないという規則がある。改装はできても、新築の建築は禁止。

でもこの行者の弟子たちがそんなこと関係ないと、グルのために山の中に小屋を建ててしまった。結構しっかりした建物ではあるけど、ひと間なので撤去しようと思えばいつでも撤去できるが、今の所何年も撤去されず住んでいる。

ここには水がないのでどこかに汲みに行かないとならないのだけど
この小屋が建つと、小屋のすぐ横からなんと水が湧いてきたんだそう。

行者のパワーはすごい。。。(仏教聖典にも似た話が書いてあったな)

チャーリーが外から呼ぶと、なんと声がした!

この行者はチャーリーに「カップを洗ってきなさい」とわたして、ミルクティーを作ってくれた。
「私が洗うよ」と言ってもチャーリーは「ダメ!僕は弟子だから」と断られた。

その上ビスケットやらなんやら、「食べなさい」とお菓子が出てくる出てくる。(訪問者たちがたくさん持ってくるらしい)

「ババジー、私たちはあなたからご馳走になりにきたんじゃないんです。ブレッシングがもらえればいいんです」と言いつつ、あれも食べろこれも食べろととても気さくに歓迎してもらった。

写真ではわかりにくのだけど
目から出ているエネルギーは純粋そのものだった。

私たちは少しお金を手渡して、お暇した。

グルジは後で、「お前随分気前よく出したなー!ああいう行者に多く出すのはいいことだ。行者を喜ばせると、その喜びがまたお前に返ってくるってものだ」

と言っていた。

こういう人たちは外では働かないけど、見えないところで人のためになることをどこかで必ずやっている。

行者に多く出して損になることは絶対にない。
(ただクサを吸って飲んだくれてるだけのような、行者の格好をした物乞いはインドに多く、区別しなくてはならない。ま、顔を見たらわかる。。。)

インドの行者は荒いので、絶対注意が必要。

からかったり、中途半端に邪魔したりすると本当に危ない。

インドではこう言われている。

”猿と学生と行者はからかうな!”

猿はからかったりすると猛攻撃が来る、学生は悪く絡まると団体になって全て破壊しにくる、行者に恨まれたら大病、大事故、どんな災難になるかわからない。。。

ヘタに絡むくらいなら、触れずにおくのがいい。

以前、チャーリーはこの行者の弟子になりたいと申し出たそう。

行者に「出て行け!」と怒鳴られ

「いえ、出て行きません!僕を弟子として受け入れてくれるまで動きません!」と言うと

「お前ここから出て行かないなら棒でぶん殴るぞ!出て行けと言ったら出て行け!」

チャーリーは

「殴りたければ殴って構いません。あなたからの祝福だと思って受け入れます!」と言うと本当に棒を持ってきて、ぶん殴り始めた。

チャーリーど根性。。。

本当に殴られても逃げもしなかった。

それで?そのあとはどうされたの?と聞くと

優しく「はいれ。お茶を入れよう」とお茶を飲ませて弟子として受け入れたのだそう。

インドの行者はそう簡単には受け入れない。。。

弟子になるがわも、そこまでしてでも受け入れられたいというのは
日本人には少ないメンタリティーで、インド人はこういうところがすごいと思う。

続いて、二人目の行者を訪ねて行った。

「いらっしゃいますかー?」

「あぁ」

うわ!!!
なんと、いた!!!

「今さっき、帰ってきたところだ。
シャワーを浴びるから待ってくれ」と。

遅い時間に来てよかった!

待つこと25分。。。。

4時半過ぎに来たので、もう5時くらいになる。

こんなお疲れのところ、接待してくれるというのだから
待つのは構わなかったのだが、ここは暗くなると熊が出るので
できれば暗くなる前に町に戻っておきたい。。。という不安がよぎっていた。

「あぁ、座れ」とゴザをバサッと投げ渡された。

この行者、アーユルベーダに精通していて薬草を作っている。

時にはデリーの方まで材料を買いつけることもあるのだそう。

グルジは
「私は以前あそこの洞窟に1年ほど住んでいたんですけど、覚えているかな?」と。。。

なんとこのお二人何度か面識があるんだそう。

行者は「あー!あんたか!以前と違う格好しているからわからなかったよ」と言っていた。

軽く雑談を終えた後、この行者何やらよくわからないことを一人で話し始めた。

この行者は学があり、英語も話せる。(年配の行者には珍しい)

ものすごいヒンディアクセントのある英語とかなり滑舌が悪く、集中して聞いてないと話に追いつけなくなる。

そんな中、病や体のことを何やら話している。

グルジもチャーリーもこの行者が何を話しているのかよくわかっていない。

何か一般論みたいなことを話しているのだろうと思っていた。

そんな中、あっけにとられて聞いていたのは私だけだった。

この行者、私の体調を全部見抜いて、突然一人で話し始めていた。

「体が時々痛くなったりするから病気じゃないかとか不安が出てるけど、病気はない。何も心配することはない」

「ここにこう言った不具合があるが、大したことはない。それは少し時間がかかる。それはいついつまでだ」とか、全部私のことを言っているのはわかっていたので、度肝を抜かれた。

チャーリーは、一般的なことを話しているんですよね?と

意味がわかっていない。。。

行者は「違う」と一言いうだけで、「この日本人のことを言っているんだ」とははっきり言わなかった。

私も「それは全部私のこと」とチャーリーには言わなかった。

でもグルジは途中からわかっていた。

なんとも珍しい体験だった。

最後に私がグルジが喘息持ちであることを話し、アーユルベーダの薬があったらくださいとお願いすると

「明日の5時にまた来なさい」と。

こんな話をしている中、この行者の部屋には大きなネズミが走り回っていて

話の最後に「部屋に大きなネズミが走り回っていますね」というと

行者は

「私の書類がみんなボロボロに噛まれてしまって困っているんだ。。。もう何ヶ月も住みついてしまって」

というところで会話は終わり、明日の5時に再度アーユルベーダの薬をもらいに来ることになった。

翌日、街へ出るとねずみ捕りを発見!

これをプレゼントしたら絶対喜ぶはず!と思い買っていった。

行者は「これはなんだね?」というので

「ねずみ捕りです。餌を中にしかけて、檻に閉じ込めて捕まえるので殺さずに捕獲出来ます!」というと

「それは素晴らしい!今日すぐにやってみよう」と大変喜んでいた。

そしてその後グルジの薬を出してもらった。

私は前日診てもらったのもあったので、ねずみ捕りのプレゼント以外に少し多めにお金を置いていった。

グルジはこの行者とは何年も前から面識があるのもあり、実はあまり好いていなかった。
この行者は寺院に住んでいて気性が荒く、どの祭司とも折り合いが悪くみんな逃げ出していくのだそう。

「この行者はとにかくエゴが強い。。。それだけがどうも好きになれない。
この行者にお金出しすぎじゃないか?」と後でいうので

「行者としては、相当エゴが強くそこの行が積めてないのは否めない。でもこの方は行者というより医者!医者に診てもらって、グルジの薬も出してもらったので、その分の代金を気持ちで置いていっただけの話し!」

で納得してもらった。

行者はやはりエゴを落とすことは「行」の要でもあると心得ているので、グルジの見る目は結構厳しかった。

気性が荒さは、見ればすぐわかるので
小心者の私は写真を撮らせてくださいと言えず。。。

マウントアブは行者の好む町と聞いていたが
希少な行者たちがまだ住んでいるのは確かでした。

パラシュナート 二日目

山を登り終えた翌日、酷い筋肉痛でガクガク。

でも街にある寺院は参拝しておきたかったので
夕方の電車の予約まで、歩くことにしました。
(あの痛みは横になっていると、数センチ動かしただけでも悶えるので
むしろ杖を持ってでも歩いてしまった方がマシだった)

まずは前日宿を紹介してくれた人のところにお礼を言いに行こうということで、立ち寄るとお茶をご馳走になり雑談が始まった。

宿のマネージャー、ディーパックさんはジャイナ教徒。

グルジに色々話を聞いてきた。

「神についてはどういう見解を持っています?」と何とも唐突に極言から入ってくる。

実はこの質問はよく来る。

グルジは「これは一言で言うのは難しいトピックだからな」といつものように、避けようとしたので

「なーに言ってるんですか!そう言ったことについても本を書いてるのにそれを簡単に説明できないってどういうことですか!2、3行でうまく言えるでしょう!」とビシッというと

本当に手短にうまくまとめて答えた。

時間を費やして話を聞かせた方がいいなんて思った人もいないので、実は押したのは初めてだった。

ジャイナ教の宿のマネージャーは頷きながらとてもその話が気に入った様子。

その上グルジはジャイナ教のダメなところもバッサリ指摘。

まさかジャイナ教徒に直接そこまで言ってしまうなんて!とヒヤヒヤしましたが

お相手はなかなか器の大きな人で、「全くその通りだ!」と同意して逆に
”本物の行者だ”と判断された。

この会話が大層良かったようで、何かひらめいた様子で時計を見て

「今丁度ジャイナ教の高僧の人が食事を始める時間なんです。見てみませんか?僕が連れて行かないと見れないんです。案内しますから。とても珍しい食べ方をするんですよ」と。

私たちは「是非!」と言ってジャイナ教徒の住居に案内してもらった。

そこでは女性が食事をしていた。

まだ若い子で愛想よくとても可愛い女の子だった。

3人の中年の女性たちが一つずつ食事を手に直接のせている。

食べるときは両手を器のようにし、絶対に左右の手が離れてはいけない。小指ひとつでも繋がっていればいいが、完全に離れてしまった場合は、その場で食事を中断。

そこから24時間、翌日まで一切食べることができない。

食事も飲み物も1日一度のみ。

(溜め食いのせいか、ジャイナ教はお腹が大きい人が多い)

次に寺院に移動。
寺院の入口を入ったところにゲートのついた一般人の立ち入れない一角に大きな部屋があった。

どうやら行者の食事処らしい。

ディーパックさんはジャイナ教徒で皆顔を知っているので、そこに入り
「私のゲストです」と紹介された。

そこにはなんと、素っ裸の高僧が立って食事をしていた。

その行者はやや不快に感じたのか、言葉を発さず
「行け」とジェスチャーで門の外に出るように言われた。

ディーパックさんが「写真撮りたかった撮っていいよ」と。

でも行者は確かに見られることを不快に感じているジェスチャーを出した。

「怖くて撮れないです。。。」というと

「大丈夫。僕がここにいる限り大丈夫なんだ!いいから撮っていい!」といい
さらに行者に「こちらは日本から来た方で、僕のゲストです」と念をおすと
「好きにしろ」と言いたげなやや柔らかいエネルギーに変わった。

ジャイナ教は二派あるらしく、服を着る派と全裸派がある。

全部脱いじゃうのも、それなりの地位に来ないとできないんだそう。

この全裸の高僧は、夏でも冬でも一切着ない。

食べるときは必ず立って食べる。落ちたものは拾わない。指が決して離れないようにして食べる。

チャパティも祭司が小さめにちぎって手にのせて両手が離れないように口に運んでいました。

寺院内での食事の様子

 

まだ高僧じゃない場合は座って食べる、高僧になると立って食べるのだそう。

これが高僧の食事の仕方でした。

この全裸高僧は本当に不必要なものを抱えていないというか、服と一緒にエゴもみんな捨てましたといった綺麗なオーラでした。

でもみんなではないようで、その後もう一人若手の全裸のジャイナ教徒がいましたが、裸のわりにかなりエゴが強くて「俺はすごいんだ!」エネルギーが振りまかれていましたね。

でもこうしてみんな一歩ずつ変容していくのでしょう。

全裸のジャイナ教徒はなかなか謁見できる機会はなく、一度だけ旅先の道中、先頭だけが全裸で残りは服を着た20人くらいの団体が歩いているのは見たことがありましたが、こんな近くで食事の仕方を謁見できたのは貴重な体験でした。

服を着ているか着ていないかは大した問題ではありませんが
(インドは強烈な人種の密集国みたいなものですから、服を着てないくらいはそんなに驚くに値しない。。。)

どのくらいエゴや執着を捨てて、「行」の成果が出ているのか。
そのエネルギーを近くで感じるという経験が本当に貴重でありがたい。

ちなみに、食事を手にのせている祭司も、とても誠実そうな綺麗なオーラで
どういうわけかクリスチャンの牧師にしか見えなかった。(彼の前世がそうだったのかも!)

こう振り返るとディーパックさんに会うために、宿の予約なしで探したんだなと
神の采配を実感しました。

さすがグルジのトーク。
あれで気に入られたので、連れて行ってもらえたのですから。

グルジには、「この国はやっぱり宗教大国ですね。なんでもありというか、法律がないというか、日本ではジャイナ教だろうがなんだろうが、道を全裸で歩いたら逮捕されるんですよ。。。でもこの国では崇められる。。。すごいですねこの差は」というと

「人が崇めるから、こんなことするんだよ。崇められないならやらないんだよ」と。。。

なるほど!
そこがあったか!

全部脱いじゃうことでエゴも何も捨てられるならやった甲斐があるでしょうが、脱いでも捨てられないなら、生まれ変わった時には「そんな極端なことはやめて服を着て修行しよう。。。」と思うのかもしれない。

ちなみに彼らは2つのものしか所有しないそうで

一つは孔雀の羽を束ねた箒。

もう一つは、コモンドルと言われる飲み物を入れる器。

歩くときはこの二つを持って出かけるのだそう。

ジャイナ教の寺院に飾られていた絵。

ジャイナ教は金属を使わないのと生き物を殺さないことを徹底しています。

なので、道中歩いているときに虫を踏まないように、孔雀の羽の箒でさっさと虫を払って歩く。

歩いているときに口に虫が入ってこないようにマスクをしている人もたくさんいます。

たとえ頭にシラミが湧いても、殺さずくしで落とす。

(このご時世シラミなんてわくの?とお思いかもしれませんが、この国はシラミくらいまだ普通です)

金属を使わないので髪の毛やヒゲも切ったり剃ったりはできないので、ある程度伸びてきたらすべてむしる!
顎なんかむしり後が赤くなっていて、痛々しいのなんのって。

(どうして金属を使わないのか理由を聞いたのですが、彼らもどうしてかは知らないそう。昔に決められた規則らしい)

それと根菜は一切食べない。根菜を引っこ抜くということは、その植物を殺すということになるので、ジャガイモ、人参、大根、玉ねぎ、ニンニクなどは一切食事に入らない。

今回は運良くジャイナ教のアシュラムに泊まれたのもあり、1階には大きな食堂がありました。根菜なしにどれくらい美味しくできるのか興味深々でしたが、料理は私たちにとってはちょっとスパイシーで油っこかったですが、予想以上に美味しかったです。

今年初のパラシュナートの旅、一発目からかなりのインパクトのスタートです。

パラシュナート

話は今年初めになりまして、

初詣はパラシュナートというここランチーから電車で3時間の町に出向きました。

パラシュナートにある山頂にジャイナ教の寺院があり、ジャイナ教徒の人々は世界中から集まってこの山頂の寺院を参拝するのだそう。

ジャイナ教の教祖、マハビーラがこの山で瞑想をして修行を積んだ土地なんだそうで、初詣は大変な人気でした。

山は往復で18キロ。

地元の人曰く午前3時から登り始めて、多くは午後2時に戻ってくるとのこと。

ロープウェイないのぉ?と聞くと、

即答。「ない」

そんなこと聞いている時点で全然修行じゃない。。。

グルジは標高4000mのガンジス川の源流の「ゴームク」に行くより全然楽だよ!と言っていたので、それなら余裕だと楽しみにしていた。(これが全く真逆だとは知らず。。。)

いつもは行く先の宿をネットで予約していくのですが、グルジがパラシュナートの宿がネットで出てこないから予約ができないと。。。

正月なのに予約しなかったら、宿なんか取れないのはわかっていながらもネットで出ないので仕方なく予約せずに飛び込みで探すことに。。。

いざ行ってみるとパラシュナート駅からジープでタポヴァンという町まで1時間移動しなくてはならず、そこの町にはずらりとアシュラムやゲストハウスが立ち並んでいた。

グルジはこの町まで移動しなくてはならないことを忘れてしまったため検索ができなかったらしい。。。。

案の定、宿はどこもすでに予約でいっぱいでスーツケースを転がしながら次から次へと。

どこも当たりなし。。。

でもここに来ることを決めたということは、パラシュナートから呼ばれたということ。
呼ばれたなら絶対あるはず!と信じ探し続けると、ある奥まったところにあるジャイナ教のゲストハウスにたどり着いた。部屋を見せてもらうと、

汚さに絶句。。。

マネージャーに「ごめんなさい。ちょっとカビ臭すぎるのとトイレも清潔じゃないから。。。」とやんわり言うと(全然やんわりじゃないか)

「ここはジャイナ教の町だから、アシュラムはジャイナ教徒しか泊めてくれないんだ。宿をとるのは難しいよ。あなたたちが求めてるレベル(清潔度)は大体わかる。ついてきて。ジャイナ教の綺麗なアシュラムがあるんだ。僕が紹介すれば泊めてくれるはず」と連れて行ってもらった。

汚いからと断ったにもかかわらず、とても親切な人だった。

部屋とバスルームを確認すると、充分に清潔だったので即決。

大晦日なので、ものすごい人で溢れ
なんと最後の一部屋!

前夜にフルーツなど買い出しに出ると、店にはたくさんの竹の棒が売っていた。

グルジは「買おう!」と。

こんなの要る?と聞くと「あった方が楽だから」と。

1・5mの長さの竹の棒を2本購入。1本20円。

グルジは9年前に1度登っているのでよくわかっているそう。

午前2時起床。

支度をし、3時に山頂目がけていざ出発。

こんな時間にみんな登らないだろう。。。こんな真っ暗な中、山なんて登って襲われたら。。。という不安も密かにあった。

でもまぁグルジがいるし大丈夫だろう。。。と竹の杖をカツカツとつきながら山の入り口に来ると、まさかと思うほどぞくぞくともうすでに人々が登っていて、ちょっと出遅れたくらいだった。

街灯もなく懐中電灯だけが頼り。

たくさん人がいるので、真っ暗闇の登山でも全く安全で私の不安は杞憂に終わりました。

結構登ったなぁと思ったところで「もう3、4キロは来たかなぁ」と聞くと

「何言ってんだよ!1キロしか歩いてないのに!」と。。。

1キロ地点で、担ぎ屋が待機。(この人たちはよくわかっている。1キロの時点でみんなこんなに大変だとは!と思う第一ポイントで待ってギブアップ族を担いで運ぶというビジネス)

この担ぎ屋、2本の竹の間に椅子を縛り付けて、神輿のように4人で運ぶというもの。4人組の担ぎ屋は大人一人を乗せてくれる。

肥満すぎて歩けない人や、病弱な人も利用していました。

または子供や小柄な女性であれば、2人の担ぎ屋で一本の竹に小さな板をぶら下げて担ぐ。

休憩所:日の出前でまだ薄暗い

実際にはかなり年配の人も歩いて登っていて、インド人のタフさに驚きました。

こんなに勾配がきついなんて想像もしてなかったので、出だしから登りきれるか心配になりましたがなんとか4キロ地点まで来て一休み。

ところどころチャイを出してくれる休憩所がある。

かなりの疲労と空腹なので、サットゥというひよこ豆を炒った粉(味はきな粉に似ている)を水に溶いてプロテイン補給。(カップ、水、サットゥは持参)

これがヘルシーで効果抜群。

このあたりから、突然気温が一気に落ちてキンキンに冷えた風が吹き始め標高が上がったことを実感。

のんびりマイペースで登り続けると、山頂の寺院が小さいながらも見えてきた!

山頂にちょこんとあるのが、その寺院。

グルジはサットゥを飲むとお腹が張るから要らないというので、飲まなかったのですが、体に栄養がないのでフラフラ。

遅いのなんのって。

私はサットゥで栄養補給をしているのでスタスタ先に行っては100m先で待って。。。の繰り返し。

でも7キロ地点あたりに来た時はもうサットゥも何も、私もフラフラ。
ここまで来て初めて、本当に竹の杖なしでは無理だったと竹の必要性を実感。

若い男の子ですら、足が八の字状態。こんな若い子でもフラフラになるなら私がヘトヘトでも問題ない。。。と励ましながら。

1キロおきに軽くストレッチでふくらはぎの筋肉を伸ばしたりしたのは、大きな助けになり、ついに山頂の寺院が近づいてきた。

小さな白い建物が、その寺院。

ここからが疲労の極限の始まりで、正直登りきれるかわからない。。。登れたとしても降りれるかわからない。。。と恐怖がよぎっていたが、

ついに到着!

山頂に着いた時は、まさか生きて登れたとは。。。と感動で泣きそうでした。

山頂は絶景で素晴らしかったぁ。


寺院は山頂のピークに建てているので小さいのですが、本当に来た甲斐がありました。

参拝後は軽く腹ごしらえ。
グルジはチャナ(ひよこ豆)のサラダを食べたらすっかり復活し、スタスタ早足で帰路へ。
行きの半分程度の時間、4時間くらいで降りました。
(が、下りの筋肉痛は登りよりもきつい。。。)

行きは大半が暗闇だったので、道中がどんなかはわからないのですが
帰りは村々が存在していることを知り、初めての風景を見ながら楽しんで帰りました。

宿に戻った時は、もうその場で失神状態。

翌日は言葉にならないほどの筋肉痛で。。。

でもあの達成感と爽快感と強烈な筋肉痛と、
全てが究極なレベルで好きでした。

もう一度登りたいなぁと思っています。

アルモラ

大変長らくご無沙汰しています。

2015年のカトマンズ大震災のご報告を最後に、ブログが再起不能な状態に陥ってしまい停止状態となってしまっていましたが、ついに再開のときがやってきました。

お問い合わせをくださった方々、大変お待たせいたしました。

ざっくりとですが、この3年間の流れを書いておきます。

ネパールのカトマンズ大震災の後、インドに入り紅茶で有名なダージリンで数ヶ月過ごしました。

その後平地へ下りてブリンダバンというクリシュナ神を祀る寺院一色の町で数ヶ月。

それからアルモラというヒマラヤが一望できる山に移動し1年以上過ごし、現在平地のRANCHIという巨岩が聳える町にやってきました。

去年は1ヶ月間巡礼でインド内をまわったりもしました。

過去の部分は追って載せていきたいと思います。

 

アルモラを出ようと決意したのは、あまりにもネットコネクションが悪く1ヶ月のうち10日は停止、10日はとびとび、10日は順調という、普通に使えるのは月に10日間しかないというのが、この山のネット状況でした。

アルモラのときのセッションは、数人の方々にかなりのご迷惑をおかけしました。(本当にすみません!)

その他にも雨が6ヶ月続いたりと諸々と理由はあったのですが、丁度アルモラは卒業かなぁという感じでして、グルジも移動には同意ということでいざ出発!とは簡単にいかず。。。。

なんせ4年の歳月で荷物が増えてしまって。。。
とにかく物を減らすためにネパーリーたちにできるだけあげちゃいました。

大喜びで何でも持って行ってくれた。

(インドの山には荷物運びで出稼ぎに来るネパーリーがたくさんいて、グルジはそのネパーリーたちに対して同国民としての仲間意識が強い)

それでもかなりの荷物で。。。
これをどうやって運び出すのか考えるだけで途方にくれました。。。。

洗濯機や停電用のインバーターやバッテリーに、プリンター。かさばるものばかり。

移動は約1200キロの距離で、まず山から下界に降ろさなくてはならない。

そしてRANCHIへと向かうとなると、直行するような引越し業者はかなりの高額。

が、ここで強い味方が出てきました。

なんとグルジのお弟子さんたち!

3人のお弟子さん+専属ドライバーの4人でジープでデリーから10時間かけて来てくれました。

費用はすべて払うと言っても、一切受け入れず「僕たちはいつも二人からたくさん学んでいるんです。こんな時くらいしか貢献できないので僕たちですべて割勘にすると決めたのでそうさせてください」と。。。

グルジのお弟子さんたちは、グルジがこんこんと教えているだけあり、こういうときには惜しみなく手を貸してくれる。。。
すごい大変なのによくやってくれたなぁと本当に感謝と感動でした。

まずは山からデリーまでジープで運んでもらい、デリーからランチーまでは運送業者にお願いしました。

引越し前日、出発まではとにかくバタバタ。

ですが、荷造りの途中でも「セッションしてくれる???」と、すかさずセッションの依頼は早い!

ご飯を作っている最中も「今、これこれこういう状況で。。。」と
気がつくと隙あらばキッチンでもセッション!

というのも、私たちと直接会える時は滅多にないので、荷造りであろうが、なんであろうがこの時を無駄にはできない。。。

荷物を乗せたジープはいっぱいになり、人が入りきれないのでグルジと私とお弟子さんの一人は食事付きの特急電車で6時間半、楽々デリーまでひとっ飛び。

そして電車の中でもすかさず「セッションやってくれる???」は止まらない(笑

残り3人はジープでゆっくりと山を降りるも、途中崖崩れがあり通行止めで、本当に可哀想なことにデリーまで14時間かかってしまった。。。

崖崩れに巻き込まれてなくて本当に良かった。
本当にお疲れさま。。。

私たちは先に到着すると、すかさず「1階に住むB氏の首の神経がおかしくて病院に行ったのですが治ってなくて。診てあげてください!」って到着して早々、救急隊員扱い!

ジープチームは14時間後、到着するや疲れた顔も見せず

「明日の朝、出発前にセッションできる???」と。

そうきたか!

このインド人のタフさは脱帽ものです。

「隙あらばセッション」やってました。

向こうも頑張ってくれてるので、こちらも頑張らないと!

この方達はグルジからいろいろ教わり(毎日のように電話が来ている)会えるときにセッションが受けれるなら何でも手伝います!みたいな純粋で健気な人たちです。少しずつ少しずつみんな良い方向に向かっています。

それを見れるのが本当に嬉しい。

実際には私のセッションはおまけで、グルジに対する信用と信頼と、愛のこもった強烈なスパルタな教えがみんな大好きですごい感謝しているんです。インド人は修行を積む人を敬う傾向がありこういう人たちから自分たちは知識を得たり、人生を良い方向に導く助けを得ると信じているので一度「この行者は本物だ!」と思ったらすごい尽くすのがインド人。

これで1年過ごした壮大なヒマラヤと質素な平屋とはお別れ。。。

 

朝陽がとてもきれいだった。

ヒマラヤが見れるのは1年のうち冬の3ー4ヶ月くらいで、残りは雲に隠れてしまい、実際にはヒマラヤを見れる期間は少ないのですが、ヒマラヤのエネルギーは届きますので、たっぷりと吸収しました。

家の目の前の眺め

ここでは、菜園とバードウォッチングが楽しかった。

沈黙行やすっ飛ぶほど瞑想をしまくったヒマラヤ平屋生活はいろんな意味で壮絶で奥深い経験でした。