やりたいことの再確認

長距離バスでの腰の激痛はすっかり良くなりました。

でも今回のこの人生初の腰痛には本当に感謝です。
この痛みのおかげで、自分のオーラをかなり集中して見てみたり、浄化したり、全く気付いてなかった思い込みに気づいたりと、「腰の激痛ありがとう!」と本気で思えるほどの気づきと感動の日々でした。
人って壁にぶち当たったり、恐ろしい痛みをくらったり、何か普段とは違う衝撃で窮地に立たされて初めて気づかされる何かってありますよね。

 

さてさて、話は変わって。

インドのファッションはみなさんご存知のサリーが定番ですが、クルタという上下セットもあります。

最近の若い子たちは、この定番に飽きて西洋化してきているので、都会ではジーンズにTシャツとか可愛い上着を着始めています。
私の住んでいるところは、まだ田舎なので定番からはあまり多く外れていませんが。

サリーは本当に美しくて、こんな美しい服を毎日着れるなんて!日本ではパーティー以外無理だけど、こっちではそれが普段着で羨ましいとすら思っていたのに、今の若い人たちはサリーなんかと比べたら全然美しくないジーンズが履きたいらしい。(その気持ちはわからなくないけど)

サリーの場合、中にブラウスを着ます。その上に5メートル近くの長い布を巻きつける。この中のブラウスは丈が短く、袖も肩を少し隠す程度。お腹は丸出し。太っている人はボテっとブラウスの下から垂れ下がるかのように露出し、サリーよりそっちに目がいっちゃいますが。。。

ですがこの国は太っている、お腹が出ていることはお金がある証拠なので、誇りが持てるご自慢の太っ腹、理想の体型です。

日本では中年や老人が太ったお腹を丸出しで、さらけ出すファッションなんてちょっと考えられないのですが、こちらではモラルに反するどころか「正装」になる。。。

インドではお腹は出していいけど、肩はダメなんです。
肩を出すのは、かなりタブーなので要注意。

肩を出すファッションならショールを一枚羽織らないとダメです。

お腹はいくら出してもいいけど、肩を出すのはまるで下着で歩いているような扱いになるので、お寺も入れません。

日本では肩は出していいけど、お腹は若くて細い子限定になるでしょう。
インドは逆が常識なんです。

タンクトップで肩や胸元を出すのはありえないし、さすがにそのファッションができるインド人は見た事がないです。映画の世界だけじゃないかな。(ノースリーブ系はギリギリありですが胸元がしっかりとカバーされているのとショールはつける)

私もかれこれインド/ネパールに滞在して5年。

そんな環境にだいぶ慣れてしまったのもあり、セッションの時にタンクトップを着ている方がいると「うわ!タンクトップだ!こんな格好ができるなんて!」とまるで下着姿を見るかのような気分になって驚きました。(どうぞ構わず着てください 笑)

5年前までオーストラリアにいたときには自分も普通に着てたのに。。。

環境というのはこうもマインドを変えるんだなぁと真剣に驚きました。

社会の常識や社会の求めることは、自分の常識や自分の求めることにもなってくる。

社会的な環境だけではなく、家庭環境も同じことがいえる。

親の言うことや態度はまるで常識かのように自分のマインドに刷り込まれる。
ああいう親の態度が大っ嫌いだと思いつつ、自分も親と同じことやっている人は多いでしょう。

あれだけ同じにはなりたくないと思っていたのに。

でもエネルギーは自分のオーラに刷り込まれていますから、変容を心がけ新たなアクションに変えると決めないと、嫌だ嫌だと言いつつ同じ態度を取っていることって多いでしょう。

学歴が最重要と言われて育ったなら、学歴にこだわるようになるでしょうし、
逆に勉強はそこそこできていたらいい。創造力を働かせて、好きなこと一つに突き進めと言われたら、それが正しいと思うでしょう。

学歴重視が当たり前であれば、そのように他人に対しても見るでしょうし、学歴なしでもやれる!と思ってやってきた人で成功している人はいるし、そういう人は学歴は関係ないというフィルターで人も見る。

一度不必要に自分を自分で困らせていないか、自分の信じる「常識」をまっさらな目で見直してみることをしてみるのはとてもいい。

完全に間違っていることを正しいと信じていることもたくさんあります。

もちろん疑う余地がないほど、クリーンで心の底からやりたいことをやって生きているのならいいんです。

ゆるぎなく突き進む方向が決まっているのですから、それがあるなら素晴らしいこと。

インドでは興奮だけだったり、タイトル集めだけをしていることに気づけない人もいます。(これはインドに限りませんが、何気に多いなって思いました)

本人は至って真剣なので、経験も実績もないことを「俺はこれをやる」とまるで今始めて、来週には成功できるかのようなことを言っていたり。。。

周りに言われたことや周りがやっていることを自分もやるのが当たり前の観念となり、それをただ真似しているだけのことはないか。
あの人がこういうことをやっていて格好いいから私もやりたいとか。

最近のケース。

インドでは特にデリーのあたりはレイプ犯罪が猖獗していて1日100の単位で起きているとも言われています。

ある広告代理店で勤めている人が「俺はレイプ犯罪を止めるための講演をしてまわりたい!」という。
知り合いの警察が「あなたは話が上手いからどうかレイプ犯罪を止めるスピーチでもしてくれないか」と言われたそう。

モチベーションとしてはとてもいいことですが、どのように説明するのかと聞いたら

「セックスというものは愛と繋がるものだというのを説明するんだ!」と意気込んでいる。

これは行動に移すべき素晴らしいアイディアだ!と言うのは簡単です。
でも通常心理学も全くわからない、犯罪心理学も学んでない人がレイプ犯罪を止める講演ってどれだけトンチンカンなことを言っているのかに本人は全く気づいていない。

何がすごいって、実績もないことに対してありえない自信があるということ。。。

結局現実的じゃないと思いなおしこれは計画だけで終わった。

でもこの方、その次には学校を設立すると言いだしたり、政治家になるとか、美容院を経営するとか、学生のモチベーターになるとか、観光業をやるとか、まぁそれはそれは実績、経験のないことばかり次から次へとやろうとする。そして計画倒れか、やって即失敗して閉じるかを繰り返す。

結局この人はまず第一に有名になりたい、名誉欲が半端じゃないんです。
「あなたはすごい、素晴らしい人だ」とリスペクトされたくてされたくて仕方がない。
それ以外欲しいものがないんです。

でもちょっとトリッキーなのが、親がやっぱりこういうことを言っているところもある。

「お前は人の上に立てるようになれ、教えらえるようになれ」
と期待をかけられたことがある。

それもあって人から認められるなら、なんでもやるとなっているところがある。

それはいいのですが、抜けているのは「努力!」

彼は本当に興味のあることが見つかっていない。
だからマインドが暇で何か興奮することだけを探っては、タイトルを見つけてやる気満々になる。そして数週間後、数ヶ月後には現実には起こせないと気づき、別のタイトルを見つけてまた興奮して時間を潰す。

タイトルさえあればワクワクするので意気揚々とした人生を送っていると思い込んでいるんです。

この人のマインドはほうれん草の種をまいて、来週には柿が収穫できると思っているので、一つのことに絞って努力するということはまずしない。

やろうと思うことも、世間の言うことをただ真に受けていたり
人の願望を自分の願望と思ってしまっていたり。

本気で何かをやりたい人はそんなにヒョイヒョイとゴールを変えられないはず。

この人の場合、お金には困っていないんです。
広告代理店でインドではかなりの高収入で家も建てちゃったんですから。

極端なゴール設定だけして、一番肝心な中身の勉強は一切しないだけじゃなく、もうなんでもできるだけは全て知っているとすら思っている根拠のない自信に溢れているところが大変なんです。

というのも読むものは雑誌くらいで、雑誌の中から素晴らしい名言や珍しい内容を1、2行しっかり暗記したりしてるので、タイトル的な雑学はかなり多い。
でもタイトルばかりだから一つのことに対して深みが何もないので、現実には大して役に立たない。。。

このケースの場合、何がこんなにも名誉にこだわらせるのか、何がこんなにもリスペクトされたいと熱望させるのか、何かが欠けているから認められたいわけですよね。

これは親の埋め込んだ理想だけじゃない。

名誉欲を一切捨てろとまでは言いません。
それは誰でも多少あるでしょうから。

ただこの理由をきちんと知る必要がある。
それを知るならば、こんなにメチャクチャな非現実的な計画は立てないはず。

この人の場合、やりたいことがみんなコピーなんです。
自分の真の欲望じゃない。

周りにやった方がいいと言われたこと、お金になると聞いたこと、これをやれば尊敬されるとわかっていること。

雑誌の切り抜きの努力もいいでしょう。
名言を切り抜いたなら、そういった名言を言えるだけの深みをつけるにはどういうことを身につけ、学んだらいいのかを1つの名言につき数年ずつ勉強したら間違いなく深い人間になれるでしょうし、講演だって夢じゃない。

それをしないのなら、ただ「人の感じた人生」を真似して歩んでいるだけになってしまう。

でもこの方、すごいポジティブな人で困っている人がいたら必ず助けるし、人に元気を与える人。人としてものすごい大きな器を持っているんです。

だからこそ、努力が付いてきたら間違いなく「大物」になる人なんです。

でも、もう中年ですから、新しいことをやるなら一つのことを真剣にやらないとならない。
これ以上勉強をすることに興味がないのなら、広告代理店でやってきたのだし、人前に立ちたい夢が大きいので、ビジネスを成功させる術を教えるのが一番早いって言うんですけど、「そうか!じゃそうしよう!」と言いつつ、
翌週には別のプランに変わってるんです(笑

最近こんなこと聞きました。

「最近の日本人は、みんなファッションでコーチングやヨガの先生になりたがる傾向がある」と。
今の日本はコーチングしていますというのが格好いいらしい。

一つでいいんですよね。
幼少の頃からやりたいと感じたこと、得意なこと、時間を忘れて没頭できること、大好きだと感じること、何か一つを本気でマスターしようとしたら、この短い人生なんてあっという間に終わっちゃいます。

もし、あれ、なんか自分の信じていることはおかしいかも?と思い当たる場合は、一度疑って観察してみます。

自分を見直すことで頭でやりたいと思うことじゃなく、本当にハートからやりたいと感じることにアクセスできるかもしれません。
それは意外にもすっかり忘れていた、幼少の頃に一瞬思ったことだったりするかもしれませんよ。

中心の自分

カトマンズから帰ってきました。

行きの飛行機はキャンセルになってしまったので、帰りは飛行機でと思っていたのですが、帰りの便は行きの便より倍額になる。。。(日本に帰れるような額!

それに予約したチケットがキャンセルになって乗り継ぎ便を破棄しなくてはならなくなったのは、実は今年2度目!

なんか、3度目の正直でまた起きそうな気もする。。。

カトマンズでの用は無事済んだし、ACの寝台列車でのんびり帰るかぁ。と決意したものの、結局電車の予約が取れず、代わりに深夜バスになってしまった。(バスだけは避けたかったのに)

通常深夜バスはエアコン使用なのでそこそこ快適なのですが、やっぱり長距離はきつかった。。。
電車だったらずっと楽だったのに。

国境で別のバスに乗り換えたのですが、全てはスムーズにいっていたはずが、タイヤ2つもパンク。。。

次のバスでは、途中何かのはずみでフロントガラスが大破。

窓枠のゴムも外れ、フロントは裸状態。。。

ガラスがないままのバス。

別のバスを手配するのだろうと思っていたら、なんとそのまま走行すると。。。

考えられない。。。
フロントガラスのないバスを20時間以上走行するなんてクレイジーでしょう。

ひとまず天候は良好。

でも万が一雨が降ったらどうするのさ?

と思っていたら、数時間後、ドドーンと雷が鳴り始めた。

出たっ!まさかの嵐。。。。

ものすごい暴風と豪雨で運転手は目も開けられないので、横殴りの雨で停車と徐行すること3時間。

運転手は毛布にくるまり、ずぶ濡れ。。。

しばらくして嵐も抜け、走行開始。

長距離なのでドライバーは二人いましたが、この方達風邪ひいてないといいけど。
こんな状況で事故が起きなかったのが不思議なくらい。

どうにかこうにか3時間の遅れでランチーに無事到着。

やっぱりACであっても長距離バスはきつかった。。。

帰りはルートを変えたのもあり、行きよりも長い40時間の距離になってしまい、帰ってくると座り疲れでひどい腰痛に見舞われた。。。

やっぱバスだけは2度と使うまいと心の決めていたけど
今回やっぱり思った。
寝台列車は何とかなっても、バスはもう限界だ。

人生初の立ち座りに悲鳴をあげるような腰痛を経験。

ぎっくり腰になってしまった人はこんな痛みなのかもしれないと、初めて腰痛持ちの人の気持ちがわかった気がした。

到着日はもう疲労で爆睡でしたが、翌日は痛みがマックス。

これはどうにもこうにも、自分でオーラを治すしかない!と瞑想ヒーリングし始めました。

大きな鏡もないので、自分のオーラを霊視して腰の痛みと繋がるところを浄化したり修復したり。。。

痛みはなんとか3分の1まで落ちましたが。。。

なんとかだいぶ楽になったので、サブジェクトの枠が広がり、常識と信じていることや枠づけをする信念についても瞑想してみた。

前世、幼少期、社会の風潮、家庭環境の影響などあらゆるところから創り上げられた、限界や信念をたっぷりと観察することができた。

ただ漠然と見ながらも、不必要な信念なども浄化もしたり。

マインドはまだ動きがあるものの、瞑想の状態には入っているので、全くときの感覚がないので、12時くらいから始めて、気がつくと寺院の礼拝の音楽が鳴り始めた。
ということは朝の5時だ。

この状態に入っていると、飽きるとか長いとかそういう感覚はないので、もうそろそろ寝ようと決めないと疲れも眠さも来ない。

このときわたしは、自分は中心にいるんです。
どんな感じかというと、私が中心の軸で、その周りに感情や記憶や信念やらが渦巻いている状態。でも中心の軸はブレる要素がない。

そこは無というか、相対するものがないと言った方がいい。

何かが残るというのは、受け皿があるから残るわけでしょう。

つまり感情であったり、トラウマであったり、前世の記憶であっても、それが残るということは、何かしらの受け皿がなければ残らない。

相対するものがあるから「残る」とか「発生する」ということが可能になる。

ポジティブもネガティブがあるから存在できるし、ネガティブもポジティブがあるから存在できる。

一方がなくなったら、もう一方も存在できないことになる。

光は闇があるから光として存在でき、闇も光がなければ存在できないのと同じこと。

ごちゃごちゃとわかりにくいことを書いてますが、中心という部分は、その相対するものがない「空」の状態。

簡単な例えにすると
そこは、台風の目のようなもの。

荒らされるものがない。

相対する要素がないということは、心のように傷つくこともない。

つまり真の自分は傷つかない。

でも感情や思考や記憶や想像も全て動きのあるものだから、台風の目の外で起きていること。

真の自分ではない。

台風の目が自分で、外の感情や思考も全てが自分のツール。

ただそのツールをどう動かすかは自分次第になる。

なので怠惰になったり、傍若無人になったり、現実味のない世界や、死んだ時に価値のないものばかりを追ってみたり、どうにでもおかしな方向に行くこともできれば、それはまた真理の理解や霊性を磨く道具にすらなる。

この道具なくしてどこにも行き着けないのが現状でありながら、どうこのツールをうまく扱えるのかは、自分で学ぶしかない。
親や学校の先生すら実際のところよく知らないのだから。
だから至らない親や社会を責めるのも意味がない。。。

そんなふうに、台風の目になって外側にガチャガチャと渦巻いているものをじっくり見ているのは他人事のように興味深く感じる。

中心は感情的にならないから、意識的にほとんど浮上していなかったものまで、客観的に捉えられる。

台風の目の外というのは、真の自分外だからある意味最終的には、(最終的とは生まれ変わりが必要のないレベル)重要じゃないとも言え(全てが無に帰るようなものだから)でも普通に生きている以上、中心に入る階段のような役割のツールなのでとても大切であるとも言える。

こういうことを細かく細かく観察していく。
自分の思考や信念はどんなつまらないものを抱えているのか。
何が真実だと信じているのか。
どれほど、いらないごみが旋回しているのか。

そういうことを直視すること、そして理解し、手放すこと。

それが、いらぬ信念を打ち砕き限界を超えていくことになる。

信念や限界に捉われていたら絶対人生を楽しみきれない。

やっぱり最後までやりたいことやって、いいことも悪いことも受け入れて、マックスで学習して、充実して死んでいきたい!

陸路地獄

ビザの更新でネパールに来ています。

ランチーからはネパール行きの直行便がないので、デリーを経由します。

ランチーからデリー
デリーからカトマンズの航空券を手配。

準備万端、あと1時間で出発という時、

なんと

フライトがキャンセルになりました。。。との通達がきた。

膝も腰も抜けた状態。

というのも、ランチーからデリー行きがキャンセルになると、デリーからカトマンズ行きの高い航空券を破棄しなくてはならない。。。

最悪なことにその日は私たちの乗る予定だった朝のフライトのあとがどうやら全部キャンセルになったようで、デリーまで間に合うものが1本もない。。。

バスや電車では丸一日かかってしまうので間に合わない。

ビザ失効の1週間前に飛ぶ予定が、どうにも都合がつかずビザは残り二日。

まさかキャンセルになるなんて夢にも思わず、用意したスーツケースを持って私たちはバスに乗り込むしかなくなってしまった。

まずはパトナまで行かなくてはならないのですが、夜しかパトナ行きは出てなく、仕方なくガヤ行きのバスへ。

気温42度。

ACバスは出てないので、窓全開のローカルバスで8時間。。。

42度のACなしのバスがどのくらい暑いかというと、窓をしめるほど暑い。。。

アスファルトの強烈な熱が上がって、まるでドライヤーのように皮膚が焼けそうなほどの熱風に襲われ窓を皆閉め始める。。。

ちょっと緑のあるところで窓を開けて、また閉めての繰り返し。

ガヤの手前のブッダガヤの門。

この状態で8時間も乗ったなんて信じられないのですが、まだまだ序の口。

ガヤまで到着すると、即リキシャに乗り換えて大急ぎでガヤ駅まで。

パトナ行きの電車は20分で来てしまうところで大急ぎ。

20分もあれば十分と思うかもしれませんが、エレベーターもエスカレーターもないインドの駅はスーツケースを持って陸橋の階段を上り下りしなくてはならない!

なんとかギリギリ電車に乗り込んだはいいけど、ここの路線もまたACなしの車両しかなく、予約ができない列車。
なので席が取れない。。。

押し込み状態で、ここからパトナまで3時間。
一人席のおじさんがぎゅっと自分の足を詰めて、椅子の角15センチくらいの三角形のスペースに「ここに座りなさい」と親切に私に座らせてくれた。

「ありがとう」と有り難く座らせてもらったけど、15センチの三角スペースはめちゃくちゃお尻が痛くて立ってる方がマシなのか座る方がマシなのかわからなかった(笑

予約なしの一般車両だからぎゅーぎゅー詰めで暑さとお尻の痛さに耐えた3時間。

そしてパトナに着くと、ネパールの国境までのラクショール行きのラストのバス2本は完全に完売したと言われてしまった。。。(泣

どうにか国境まで行ける手段は他にないのか?と聞くと、ラクショールの30キロ手前のモティハリまで行くバスならある。ACなしだけど。。。と。

まさかここまでことごとくACなし車両にしか巡り会えないとは思いもしなかったけど、 もうここまで来たらなんでもいい。。。

このバスも窓をずっと開けたまま走っているのもあり、シートが真っ黒。

手で触るとジャリジャリっと手が真っ黒になるほど。

その上ひどい渋滞で蚊がこれでもかというほど入ってきては蚊とバトルでうたた寝もできない。

パトナからモティハリ行きのバスに乗ること7時間。

翌朝5時にモティハリに到着。

急いでジープに乗り込みラクショールまで30キロ。

ここが国境になるので、イミグレを忘れてはいけない。

陸路だとイミグレが小さな売店のような建物なのでまさかこれがイミグレとは思わず、ハンコを貰い忘れるととんでもないことになります。

まずはインドを出国するハンコを貰い、次は数百メーター先にあるネパールのイミグレで入国のハンコをもらう。

ビザが切れる当日に無事通過。

ここまで来たらもう一安心。

が、目的地はインド大使館。

カトマンズまで行かなくてはならない。。。

カトマンズ行きのジープはビルガンジから出ているのでラクショールからビルガンジまでリキシャで移動。

ビルガンジからジープでカトマンズまで7時間。

何気にこの旅の中で一番キツかったのはこのラストだった。

グルジが山道だから私は前に乗らなきゃダメだと言って、少し多く払って助手席シートを買った。初めの数時間は山道でも余裕だった。

第一休憩ポイント 42度から25度。ここが標高のピークで涼しく空気も最高に澄んでいた。

この旅で唯一気持ち良く感じたのは後にも先にも、この休憩20分だけだった。。。

ここから一気にカトマンズまで4時間の下り坂。

軽く軽食を済ませて再び走り出した。

しばらく経つと怪しいエネルギーがジープの中に充満している。。。
後ろで誰かが吐き気を感じているよう。。。

狭い空間に一緒にいるので、誰かが酔うとその気が充満してしまい、エネルギーに繊細な私にはかなりきつい。

そして3時間くらい経つと、今度は道路工事。

道幅を広げるために山を削っているのだけど、道が完全にパウダー状態でカトマンズ行きのジープが次々と走り抜き、土埃で前が見えなくなるほど。

ジープはもちろんACなし。

10人乗っているジープでも窓を閉めないと目も開けられない。

ちょっと風向きが良くなった隙に15秒ほど窓を開けてはすぐに閉めての繰り返しで、助手席は大忙し。。。

そんな人々の吐き気と、呼吸困難な状態が最後3時間は続いた。

そしてカトマンズに到着して宿までタクシー。

最初のバスに乗ってからノンストップで乗り換えを繰り返し、宿に着いたのは36時間後だった。。。

一睡もできずに36時間の陸路で国境を超えた私たちは、汚いバスと電車と土埃とで体も服もドロドロ。グルジなんて本物の乞食にしか見えなかった(笑
なんせあの巨大なお髭ですから。

陸路の旅をするときは、絶対にAC車両を使ってください。
ACなしはタダのように安いけど、悶絶します。

翌朝、起き上がれないほど体がバラバラ。。。

チケットを破棄しなくてはいけなくなった上に、これかぁ。。。と凹んだけど人生はいつも追い風なんてことはありえない。

こんな悲惨な逆境になったときほど、黙って耐える。
こういう時にウジウジ言うと余計に苦しくなるので、こういう時は「強烈な経験をした!」ということで、記憶に収めておくことにします。

でも出産みたいなものでしょう。
あんなきつかったことも、時が経つと忘れてまた産めちゃうみたいな(笑

インド的感性

この国には日本人とは全く違う感性があるという、面白い現実があります。

例えば、私たちから見ればインド人は肌の黒い人が多いのですが、実は彼ら肌が黒いというのを好いていない。

「肌が黒い」なんてことを女性にいうのはかなり失礼にあたります。

それもありお嫁さんはできるだけ白い肌の人がもらえたら、男性はとてもハッピー。

ただ未だに結婚は親が決めるという、アレンジ結婚ですから親が肌の黒い子しか調達できなかったとなると、キレる息子もいる。。。

最近そんなケースがありました。

もう35歳で若い嫁さんが来るにはギリギリの年齢でその上残念なことに髪の毛はゼロでスキンヘッド。(似合ってるけど)

月収3万円(都会では最低額)でこれといったキャリアなし。

借りてるアパートは一間でベッド一つ置くのがやっとの月に4000円の家賃。

トイレシャワーは外でキッチンも台だけでシンクなし。

つまりこの条件になるけど、いいですか?とお嫁に来てくれる方に伝達しなくてはならないわけです。
正直条件は最悪です。

 

親が決めるとはいえ、絶対に受け入れなくてはならないわけじゃなく、本人同士が同意しない場合は別を当たるというシステム。ただあまり選り好みしてても貰い手がなくなる。

取り決めとなるのは、親同士の信頼関係にかかってくる。

この人の息子ならうちの娘をやっても大丈夫だろうとなるわけです。

お嫁さん側も「お父さんが信頼している人の息子ならいい。私もお父さんを信頼する」となる。

 

恋愛結婚は殆どないです。
世代交代した時は恋愛結婚にいずれ変わっていくのでしょうけど。

 

この彼めでたくお嫁さんをゲット。

が、実際会ってみると自分と同じくらい肌が濃かった。

婚約が成立したのに結婚式まで親に散々「なんでこんな肌の黒い女を連れてきたんだ」と文句を言いまくって親を泣かせてしまったどうしようもないアホです。
(長年知っているのでこんな書き方してますが)

実際お嫁さんに会ってみると、年齢よりもずっとメンタル的に成熟していて落ち着いた性格で、顔は文句なしに美人だった。ただ肌の色がやや濃いめなのは確か。

思わずこの彼に「お尻出しなさい!私があなたのお尻ぶっ叩いてあげる!こんな綺麗な嫁さんもらっておいて、アイショリア ライを連れてこなかったって大騒ぎして親を泣かして!いい加減にしなさいよ!」と本当にお尻をぶっ叩いた。

みんな大笑いしてたけど。。。

(アイショリア ライとは随分前にミスワールドに輝いたインド人女優で、こんなに美しい人は見たことがないというくらいの美人。肌の白い人を嫁に連れてこなかったという言う代わりに最高級の美女の名前を使った)

しかもインドでは自分でお嫁さんを選ばないのもあり、どんなに良い嫁をもらったか競いたい傾向もある。。。

彼は「だって!A氏よりもB氏よりもC氏よりも優れた奥さんが欲しかったんだもん!」という。

私は

「あなたね、A氏の奥さん料理全くできないんだよ?何年たっても毎日野菜炒めとご飯だけ。それ知ってて言ってるの?

B氏の奥さんは、どれだけすごい独裁者だと思ってるの?何でも買い揃えなかったら毎日棒でぶん殴られる日々だよ?

C氏の奥さんは、ちょっと怒っただけで100発殴られたかのように泣くような子犬みたいな精神力だよ?

あなたの奥さんは美人だし、まだ若いし、みんなの奥さんより一番精神的に落ち着いていて料理もできて、素晴らしい奥さんじゃないの。何を文句言っているの!」と言ったら、やっと現実を受け入れ「実は俺は良い奥さんをもらったんだ」と納得。

隣の芝生は青いとはこういうことなんでしょう。

 

ちなみに、肌が黒いのは嫌なのに、デブと言われるのは喜ばれる。

逆に「痩せてるね」なんていうのはかなりの侮辱になる!

日本じゃ「痩せてるわねぇ」なんて言われるのが褒め言葉ですが、インドじゃ痩せてるわねぇ=「貧乏で食べれないのね、あなた」という意味あいになるので、痩せてて美しいと思ったとしても口にしない方がいい。

グルジと私はいつも一緒に買い物に出かけるのですが、時々私が行かない時があるとすかさず「あなたのところの日本人のマダムは痩せてるけど、食べさせてないのか?病気か?」と聞かれるそう(笑

グルジは「健康ですよ。あの人はたくさん食べない人でね。小鳥みたいにちょっと食べてはまた後でちょっと食べてみたいにたくさん一度に食べないだけで、でもきちんと食べてるんですよ。」なんて言っているらしい。

私の前では痩せてるなんてことに触れるのはとても失礼だから決して言わない。

日本人の目から見たら私は全然普通体型なんだけど、インド人からしたら太ってない=病気かお金がないになる。

だから他人の奥さんに「おたくの奥さんよく太っているねぇ」なんていうのは褒め言葉になる(笑

グルジなんて近所の店主に「あんたのところの奥さんはかぼちゃのように太ってるけど、食べ過ぎじゃないのか?」なんて言っているのを聞いて卒倒しそうになった。

「あー確かに嫁は米を食いすぎている。。。」と店主は言っていたけど

さすがにこりゃキツイだろうと思ったので、「あなたの奥さんは太っていて綺麗ね!私はスティックのように細いからビューティーじゃないけど!」って言ったら

「俺の妻は太っていて綺麗か!俺の妻は綺麗か!」って大喜びしていた(笑

嫁はかぼちゃのように太っている=俺はたくさん稼いて食べさせているということなので、

そんなことを言われても傷つく社会じゃなく、ある種褒め言葉を含んでいるようになってるところがある。。。

インドでは本当にまだ道路沿いや川沿いなんかでプラスチックをつぎはぎにして建てたテントのような小屋に住んでいる人たちがたくさんいるので、あんなふうにはなりたくない!うちは金があるんだ!食べれるんだ!とひけらかしたいんです。

インドは収入に対して油は高いので、毎日揚げ物が食べられるとなったら金持ちの証拠。だから油が買える人たちは毎日毎日油物を食べては丸々と肥え、ある日医者から「あなたはこれこれの病気です」と言われるまで揚げ物を食べ続けるというのが今のインドの食生活と現状。

インドに来て「痩せてるわね!」と女性にいうのは失礼になるので要注意です(笑

ちなみに料理ができないA氏の奥さんは、顔も可愛くて細身で、間違いなく日本人が羨ましがる容姿。

が、彼女は「私は太れない。。。太りたいのに。。。」と毎日嘆いているんだそう。

全然そのままでパーフェクトに綺麗なのに。

太りやすい日本人には1日でもいいから、その体質になりたい。。。と思うはず。

グルジには「あなたはかぼちゃのように太っている」なんて日本人に言ったら気を失う可能性があるので、くれぐれもそのようなことはに言わないように。。。とおしておきました。