移転

引越し先がついに決まりました。

カルカッタに飛びカルカッタ中をあちこち見て回りました。

以前カルカッタに行った時は2月でベストシーズン。

暑くもなく寒くもなく、過ごしやすい上に見所はいっぱいあるし、聖者や知的な人たちがたくさん輩出された地で、その上人々がかなりきちんとしている印象を受けた。

 

カルカッタの人たちは、モラルがあって謙虚な人が多く(インドでは珍しい?)ビジネスをする人が多いのもあり問題解決能力も高いし、リスポンスが早い。

カルカッタで、あれ、この人???。。。。って思う人はカルカッタ出身じゃない人だったりして、結構はっきりとわかりやすかったりした。

インドもあちこちまわりましたが、カルカッタの人たちが一番付き合いやすいって思っていました。

人もそうですが、領事館がある、大半の地に空港から安く飛べる、運送が早い、何かと便利であらゆるポイントを含めカルカッタに行ったのですが。。。。

 

行ってみると気温41度、湿度85%!

あの2月の清々しさは夢のように消え去り、立っているだけで汗が滝のように流れ、部屋では24時間エアコンをつけていないと寝ることもできない。。。

地元の人曰く、24時間エアコン状態は最低でも4ヶ月は続くと。。。

この状況で家探しは本当に死にそうだった。

 

でもOLAやUBER のタクシーがいくらでも走っているので、移動は楽でしたが歩き回るのはきつかった。。。。

何に驚いたって、丁度タクシーをつかまえる時に目の前に動物園があり、41度、湿度85%の状況なのに、ものすごい量の家族連れがぞくぞくと動物園に入っていく。。。。

まるで小春日和かのように。

どうやってこの41度の炎天下で子供達を連れて「今日は動物園に行こう!」って思えるのか理解できなかった。。。

 

グルジいわく、ここで生まれ育っている人たちはもうこの気温に慣れているから私たちが暑いと感じるようには感じていないんだという。

確かにデリーに行った時、日中が45度で夜中の11時になっても39度だった時、本当に脳みそが茹だりそうでグラグラだった時、デリーに住んでいる人に「暑くて死にそう。。。暑くないの?」って聞いたら「う~ん。別に。。。暑いとは思わないし、不快には感じないかなぁ。」と言われて、衝撃を受けた。

 

話は逸れましたが、カルカッタは暑いとは聞いていたものの、あそこまでの威力があるとは知らずかなり気持ちが萎えましたが、家が見つかれは意を決してカルカッタに住もう!と話していました。

 

が、なんとカルカッタの家探し、カラ振りました(笑

目をつけていたところは、ことごとく借り手が決まってしまっていたり、見に行ったところは全部納得がいかなかったりで、21日までに決まらなかったらランチーに戻って探し直そうと決めました。

 

そして22日に帰宅。

翌日から即家探し。不動産屋に頼んであちこち見せてもらい、そこそこ良いところがあり、1日じっくり考えついに決定。

今回は初めてビューのないアパートです。

いつも必ず眺めの良いところを選んでいたのですが、今回はセキュリティと地域性と内装とビューが全て揃うところがなく、結局ビューを蹴ることに。

「今回は内装の綺麗な洞窟に住むことにした!」と考えることにした。

ランチーに帰ってくると、涼しいのなんのって。

35度しかなく、汗もかかない程度。

でもカルカッタで家探しをしてみて良かったです。

観光と住むのとでは全く現実が変わり、私が思い描いていたものとは大分違っていたのと、カルカッタに興味がある分事情を色々と知れたり、キッチン付きの宿がたくさんあることを知ったり、またカルカッタの人々に触れ合えたのも楽しかったです。

 

ちなみに、水に関しては北カルカッタは茶色い錆び水が出るので、サビ取りの機能を備えた巨大浄水器が設置されてないと、シャワーも浴びれない。

中央カルカッタあたりはソルトレイクを埋め立てたので、地下水は全部塩水で飲めない。

人口が多い為浄水は提供されない。

南は塩素水。日本と同じようなプールの匂いがする水で、錆び水と塩水と比べ、「良い水」と呼ばれている。。。

住むという観点でカルカッタのことは何も知らなかったので、あらゆる細かな事情を知ることができて、すっかりカルカッタに住む夢は消え去りました(笑

やっぱりカルカッタは観光が一番。

夏でもカルカッタに比べたら、全然生きれる暑さなので、ランチーでいいと腹をくくりました。

これまで北ランチーの方にいましたが、今回は20キロ南下し地域性が良いと言われる南ランチーに移動です。

 

引越検討中

このアパートはかなり広々としていて風通しも良く、結構気に入っていたのですが、グルジが引っ越したいと。。。

その前からエリアを変えた方がいいなぁとは思っていたのですが。

ここは環境的には静かなのですが、フェスティバル中が地獄。

インドの中でもここほどフェスティバルの騒音が酷いところはない。

警察が「ここは50/50でヒンズー教とイスラム教が住んでいる土地だから、暗黙の対立がすごいんだ。フェスティバルとなると音量であっちの宗教を負かしてやる!となってる。フェスティバルの問題じゃなく宗教間の問題だからどうにもできない。あなたたちは静かに暮らすことを求めるならここは適していない。」とまで言われてしまった。。。

普段は静かなんですが。

ただこの国はフェスティバルが多いのも問題で。。。

それと、

ここは水が良くないという決定的なマイナス点もある。

ランチーは地下水がいくらでも出るのですが、石灰かなんかが多く水にふくまれているらしく冬場になると肌がバリバリに割れてくる。。。 

浄水器を通さずに飲むと関節が痛くなりお腹がガスで膨張するとドクターが言っているらしい。

いつも「空気と水と土の良いところ」に住みたいと言っているので、そのうちの水がダメなのもあり、場所を変えるかぁ。。。と言ってはいたものの、急遽今月中に出ると大家さんにグルジが言ってしまった。

このアパートは管理人がいないため、何かがあっても責任を持って直す人がいない。。。問題が起きるたびにグルジが出なくてはならなくなったりで、もうこの管理システムのないアパートに嫌気がさしたらしい。

私はせめて9月まではいるつもりでいたのに。

聞いた話によるとランチーはどこも水が良くないということで、私の提案でカルカッタで家を探そうということに。

 

大都市が大の苦手のわたしが、カルカッタはどういうわけか好きだった。

グルジはランチーの気候が好きらしく、アパートは変えてもランチーに留まりたいようだけど、私はどうもランチーのエネルギーがあまり合ってない。。。

 

ただカルカッタは便利なので、グルジも賛成。

 

でもグルジは「最終的に行き着く場所は自分たちの好き嫌いでは決められない。天界が導くのなら、そこに行くしかないし、そこに行くことになっている」と言っている。

もう1、2日ランチーをチェックし、ダメそうならカルカッタに探しに出ます。

カルカッタは400キロも離れているうえ、あと10日でモンスーンの時期に入るので大急ぎでやらないと大変!

 

存在価値

先週は長距離バスでの腰痛がひどく、じっとしてるしかなかったので、どうせ何もできないなら「何かためになるものを観よう!」と思った。

そこでふと目にとまったのが、野良犬をレスキューするYouTubeの動画。
Hope for paws というオーガナイゼーション。

野良犬だったり、捨てられた犬だったり、虐待された犬だったり、飼い主から迷子になってしまった犬だったり。。。

捕獲するんですけど、恐怖心があるから吠えるし唸るし、牙むき出しでかなり強烈。。。。

でも彼らはプロ!ただ捕獲するだけじゃなく捕獲までにしっかりと信頼関係を築いて安心感を与える。
(場合によっては捕獲してから安心感を与えて信頼を築く)

捕獲ができたら体を洗い、トリミング。
健康診断、心のリハビリもしてマイクロチップが入っていなければ里親に出すという流れ。

もちろんこのオーガナイゼーションは専用のVETがあるので、ドクターもいるし、薬も揃っているし、治療や手術すらも行なう。

毛も抜け落ちたかなりひどい病気の犬ですら、元はこんなに綺麗な犬だったんだと目を疑うほど、見違えた状態まで面倒を見ている。

捕獲の際には、たかだか20分程度で凶暴犬から穏やかな顔になり、飼い犬のように普通に触られることに喜びを感じ、

捕獲されて殺されるんじゃなく、助けてもらっていることを犬もさとる。。。

このオーガナイゼーションの方々はきちんとした知識があり、犬のサイコロジーをよ~く理解している。

捕獲の際に噛まれないように細心の注意を払って捕まえていますが、稀にちょっと噛まれてしまうこともあるらしい。でも決して怒らない。。。
恐怖で噛み付いているのであって、ここで人間が怒ってしまったら本末転倒。

信頼が築けなくなってしまう。

噛まれても怒らずに愛を与える。。。

この人たちが扱えば、安楽死にされる寸前の手のつけようがない凶暴な犬でさえもあっという間に、人に慣れた犬になってしまう。

普通の犬しか扱ったことがなかったので、こんな荒れ狂った犬のメンタルをこんなに早く修復することが可能だとは知らなかった。

こんな未知の世界のマジックのようなテクニックやドッグ心理学に心底驚いた。

NGOだと思いますが、このように犬の魂を救っているのも「聖者」ですよね。

犬のマザーテレサみたい。

魂は人だろうが犬だろうが変わりない。

この救われてきた犬たちもいずれ人として生まれてくるでしょうし、その時無意識レベルで覚えているでしょう。

孤独で、空腹で、怪我で痛みに耐え、虫にたかられ
生き抜くだけで精一杯だったとき

「この人に救われた」って。

人によって信頼を失い、人によって信頼を取り戻す。

この辺りがやはり人間に近い魂だなと思う。(犬から人として生まれるときが近いということ)

どんな感動作の映画よりも感動した。。。

 

人も動物も欲しいものは「愛」

親に愛されずに育った人は怒りや恐怖に満ちていたり、人を信頼しなくなったり、承認欲求が人一倍強くなったり。

酷ければ凶暴にすらなる。

犬も虐待され続けたり、見捨てられたり、1日中縛り付けられていたりすれば人を信じなくなるし、恐怖に満ちて凶暴にもなる。

結局のところ本当の愛を与えてもらえたり、気づかせてくれるような人が周りにいなかった。。。だからいつまでも精神が成長できず、心が癒えず、頑張りたくてもくじけてしまう状態になってしまう。

でも犬はそのような人が現れるかどうかは、神の手にかかっているようなもの。

自ら助けてとは言えないのだから。

でも人は自分でどうにかすることができる。

助けてくれる人が身近にいなくても、精神科に行ったり、本を読んだり、ワークショップに参加したりして、正しい考え方や気持ちが楽になる捉え方などを学んでいける。

犬の精神はシンプルなのでテクニックで20分で心が開いて3日後にはトラウマも克服していることも可能ですが、人の精神は複雑なのでそうはなかなかいかない。

過去に縛られ、過去の傷を引きずり、人に言われたことも深く刻まれ、自信をなくし、自分を愛せなくなってしまう。。。

そこを乗り越えるのにどれだけの時間がかかることか。

両親に愛されなかった人もいるでしょうし、極貧だったり、不衛生な環境で育った人だっていると思います。

確かに過酷な経験。

でも苦しさを伴う「過酷な経験」にすぎない。

もし今でも「私は愛されていない」「私は能力もない」「私は人より劣っている」など自分を卑下したりすることがあるとしたら、それは親や環境じゃない。

そのようにあなたに言い聞かせている「あなた自身」。

一番付き合いたくない、一番あなたを苦しめ貶める存在。

この存在に別の役割を担わせるしかない。

私たちは愛されたり、認められたりすることで存在価値を感じます。

だから尚のことそれが欲しい。

でもそれは社会心理であり、生き残るための手段だと理解しているとも言える。

一度どれほど付き合いにくい、自分の気分を悪くしている「自分」がいるか、どれほど聞きたくもないことを好きに喋らせているか、確認してみます。

ちゃんと捕まえてみてください。

自分を大切にしていて、自分のことを許せて、優しくできて、ポジティブに励ましたり、切り替えたり、責任感を持ちながらも好きなことにチャレンジできているなら何も問題ないです。

かなり自分に対して意地悪だったり、傷つけることを言っていたりするようだったら、自分の才能をブロックしてしまいます。

「別に開花する才能なんてないし」って今思ったら、その声の人があなたを苦しめている意地悪な張本人。

貶める役割から自分を力づけてくれる役割に変えるだけ。

おしゃべりしている自分は自分のことをどう言っているのか、人に対してどういう態度を持っているのか、よーく聞いてみるんです。

話している自分、それを聞き入れている自分、そしてそれをただまっさらな状態で眺めている自分に気づけたら、ある大きな事柄が理解できます。

それは自分という存在の価値。

学歴が高いから、容姿が人一倍美しいから、貧乏から富豪になったから、すごい豪邸や車があるから、人に好かれる性格だから、職業が立派だから「価値」があるんじゃない。

自己価値そのものは、条件とは無縁であるってことです。