訃報

大変ご無沙汰しております。

世界中でコロナが蔓延する中、安全にお過ごしでしょうか?

日本ではコロナ感染者がまた急増してしまったり、言葉を失うほどの洪水があちこちであったりとニュースで見ていました。

洪水被害にあわれた地域の皆さんが1日も早く復旧復興し、穏やかに暮らせる日が戻るようお祈りしています。

数ヶ月ブログの更新がなかったのでご心配してくださった方々、本当に申し訳ありません。

実は3月末に最後のブログを更新した数日後、グルジが救急搬送になり5月までずっと病院にいました。

そして5月3日グルジは他界しました。

癌です。

人生で一番辛い経験となりました。

2013年にネパールのアシュラムで出会い、グルジに教えを請い、たくさんあらゆる方面で学ばせてもらい、同時にグルジに献身的に尽くしてきました。

生活にかかる費用は全て私が持つので、どうか教えてくださいと懇願し、忙しいから来年にでもまた来てくれと断られても引き下がらず頼んだのが始まりでした。

こんなにも純粋で綺麗なハートを持ち、霊性が高く、天才科学者のようなオーラを放った人には会ったことがなかったので、やっと天界がこんなに素晴らしい師匠に巡り会わせてくれたと心から喜んでいたのに。。。

ですがグルジは何年も前からよく「今世、私の人生は短い。だから下手なことすると私が死んだ時後悔するぞ」と言っていましたが、行者はこういうジョークを言わないものなんです。

行者はわかっているんです。自分の人生の流れを。。。

私はその流れをどうにか抗おうと、どうにか方向を変えれないかといつも祈っていました。

「グルジの死が近くなったら、私の命をあげる。天界に私の命と引き換えにグルジを生きのばしてもらえるようにするから大丈夫!」と言ってました。

これまでだって山ほど輪廻転生を繰り返し、死んでは生まれ、その一度の人生なんて宇宙の時間で見たら一秒で終わるような一瞬のこと。
その一度の人生をグルジにあげることなんてなんてことない。

そう言ってました。

ですがそんな願いも虚しくグルジは逝ってしまいました。

こんなに素晴らしい行者との時間を毎日奇跡のようにすら感じていました。

毎日一緒に夕方の買い物に出て、料理をするにもいつも手伝ってくれたり、 毎日美味しいとご飯を食べてくれ、いろいろな深い話題をいつも話してくれ、間違っているときは指摘してくれ、いつでも人々に愛情深く、惜しみなく必要な人には教えていました。

裏表のない性格なので、どんな間違いも反論の余地がなくストレートに指摘することが逆に愛されてました。

グルジは私の弱さを見抜いているので、よく「私がいなくても、お前が二度と変な人間に絡まって方向性が狂わないように強化しなくてはならない。これは私の役割だ。」そう言ってゆっくりゆっくりといろいろなことを教えてくれ、私を根底から強くするようにいつも働きかけてくれていました。

その時には「私がいなくても」という言葉が、死別を意味しているなんて思いもしませんでした。

それから数年が経ち「お前はもうだいぶ強くなったな。私がいなくても決して変な人間に絡まったり方向性を間違えることはないだろう」そう言っていたのを思い出しました。

今思うと、グルジは自分が逝ってしまう前に心配しなくてもいいくらい私を根底から強くすることをここまで意識してくれていたんだと、グルジが他界してからその想いの深さに気づかされました。

2017年、ネパールでビザの更新をしに行ったときのこと、大使館で「あなたはもう4年間もビザを取り続けています。これ以上ビザを発行することはできません。長期的にまだ滞在したいということなら、配偶者ビザに切り替えるか、または自国に帰ってください。配偶者ビザが一番早いですし、他の国からインドビザを取得しようとしても無駄です。もう取れません。もうインドには入ることができません」と。。。

途方にくれた私たちは、配偶者ビザに切り替えるしかないと決意し、結婚という形をとりました。

私は子供を作って家族を持つことが今世ではタスクにないので、結婚には大きな意味を持ちません。

一般的に発展途上国の会社勤めもしない行者と結婚をしたと報告して「おめでとう!」と喜ぶ人はほぼいないのではないかと思うのです。インドですらいませんから。

それもあり、母親には書類が必要になるので伝えましたが母以外には家族にも友人知人にも伝えませんでした。

もし結婚相手探しの旅ならば、間違いなく先進国に行きました。

ですが私の目的は行を積むこと。自分よりもずっと霊性の高い師に出会えることを願っていた旅の始まりでした。

グルジは行者として歩んで来たので結婚となると「エセ行者」と思われることも多く、グルジから離れる人々も出てしまいます。

実際に離れた人々が出ました。

これまで「グルジグルジ」と慕っていた人々の中でも、「もうここの土地には来ないでくれ」と言われたケースもありました。

批判されることも恐れず、人が離れることも恐れず、それでも構わないと一緒にいるために、私のためにやってくれたことでもあります。

配偶者ビザをとってくれたおかげで、さらにこの3年間はビザの心配をすることなく、毎日一緒にいることができ、たくさん学ばせてもらえ、同時に奉仕することもできました。

こんな素晴らしい毎日が一生続かないというのは、「今世、私の人生は短いぞ」と言う言葉でどこかで受け入れなければならない日がくるとわかっていても、天界はきっと私の願いを叶えてくれる。。。

そうどこかで信じ続けていました。

グルジの夢は本を出版することであるのはわかっていたので、これだけは絶対に納得のいくデザインで(中身の内容は私には出来ないので)出来るだけお金をかけてプロに任せ綺麗に仕上げることは最善を尽くしました。

4冊出版できたらいいとグルジが言っていたのもあり、4冊仕上がったときは本当に嬉しそうでした。

次はこの本を科学者や経済学者などにも読んでもらいたい。。。とたくさんのミーティングやインタビューを受ける想定でレジデンスとは別でオフィスを借りたんです。

それなのに。。。

グルジは絶対に病院に行かない主義だったのもあり、救急搬送になるまで病院には連れていけませんでした。

病院に行こうというと、幼少の頃からずっとこうで、どれだけ病院にかかったと思ってんだ。大量の薬もアーユルヴェーダも何もかも、全部試したが同じだ。。。と。

病院もダメ、一般の薬もダメ、インドのアーユルヴェーダもダメならとアメリカからいろいろなハーブ薬を何万円も毎月オーダーしていました。

かなり緩和に繋がったものもたくさんありました。

グルジはいつも「ユキが私の面倒をみていなかったら私はもうとっくに死んでいる」と良くお弟子さんに言っていたらしいのですが、グルジの要望に添い最善を尽くしました。
後悔の余地もないほど、尽くしました。

今世でグルジのやりたいことを全て満たす。これは私の役割でした。

なので巡礼でもグルジの行きたいところを全てまわり、出来る限りの身体のケア、必要とするものは全て揃え、良い出版社で世界中の人が手にとっても「安っぽく質が悪い」と思われない本を出す。インド料理もたくさん勉強し、健康的で美味しいものを出来るだけ食べさせる。

いつもマッサージやヒーリングをし、できる限りの愛情を尽くしました。

でももっともっと、これからもグルジのためにやってあげたかった。

瞑想スクールをやろうとか、ミャンマーに行こうとも話していたのに。

心の行き場を失うほど、無念さや、孤独感、喪失感、絶望感は想像が出来るような範囲ではありませんでした。

これから私は何をどのようにして生きていったらいいのか、失ったものが大きすぎて、どのようにこの現状を飲み込んでいいのかわからず、悲しみに打ちひしがれるだけの日々でした。

グルジが他界してから3ヶ月。

今私がどこでどのように過ごしているかを、できるだけ手短かに書きます。

生前ブッダガヤの病院からパトナという街の大きな病院に搬送され、そこから自宅介護に切り替えるように医者に言われました。

突然全身麻痺になり、いつ呼吸困難に陥るかわからない目が離せない状況で、私は1日に2時間から最高4時間しか寝ることもできません。4時間連続では寝れないので、夜2時間、午後2時間、グルジがぐっすりと眠っている間に私も仮眠。

医者は患者に体力がないから治療ができない。コロナ患者もいつ紛れ込むかもわからないので病院は危険だ。家でみてあげなさいと、追い出されたようなものでした。

私は完全介護に徹する中、私たちの食事や洗濯、買い出し等サポートしてくれる人がいないので、デリーにいるグルジのお弟子さんが「パトナから5時間走ればうちの家族がサポート出来るから、ブッダガヤに帰らずにうちの家族のところに行って!うちの家族がサポートするから!」と言ってくれ、お弟子さんのお母さんと、お兄さん家族が住んでいる家で頼らせてもらうことにしました。

お弟子さんのお兄さんとは何度もデリーで会っているので、甘えさせてもらいやすいのもありました。

この国は大きいので、5時間程度はそんなに遠くない範囲になるんです。
そして救急車でお弟子さんの実家まできました。
暴走族のように走って5時間。
ビハール州にあるマドゥワニという地です。

グルジは生前「ラデとダダジ(お弟子さんたち)の出身地を見に行きたい。」と言っていたのですが、まさかこんな形でここに来ることになるなんて。

お弟子さんのうちで数週間は安定していたのですが、突然容態が悪化し再度10キロ先にある病院に救急搬送し9日間の集中治療でグルジも頑張ったのですが、抱きしめながら、私の腕の中でゆっくりと息を引き取りました。

インドはロックダウンしているためお弟子さんたちもグルジの家族も誰一人として、見舞いにも葬儀にも来れませんでした。

車で来ても20時間はかかる距離で、当然電車もバスも運行してなく、州を越えると2週間の隔離ですから来る意味がなくなってしまうというのが現状でした。

ですが毎日何度も何度も連絡をくれ、全ての確認を取って私たちの面倒をみてくれ、お弟子さんとグルジのご家族は葬儀には携帯のライブで全員参加になりましたが、葬儀には村民が数百人来てくれました。

そしてお弟子さんの一人、ラデが心の行き場も、今後2軒のアパートを引き払っても家具をどうするのか、どこに住めばいいのか全くわからなくなった私に、「(マドゥワニの)うちの2階にこれから住んでください!これからすぐに建築します!」と言って2階は外壁すらまともにできていない、窓もドアもない、レンガを積んだだけの壁の状態から大急ぎで建築を始めて住める状態に作ってくれました。

そうは言ってくれても、こんなど田舎に私は住めない。。。と正直思っていました。

車ですら月に2、3台見るかどうかの小さな村で、電気が来たのも3年前。

洋式トイレを見て「これはなに?服入れて洗うの?」と聞くほど、世界とかけ離れた村です。

ですが、グルジがこの地で火葬後、そのまま埋葬され、ここにグルジの寺院を建てたいと思い始めました。

それをダダジに伝えると、「グルジのサマディ(お墓)がある土地はうちの父の土地なんだ。そこは父が生前社会活動に役立つことに使われるなら寄付する」と言っていたんだ。ならばグルジの寺院を建てよう!」

と提案してくれました。

1エーカーとちょっと小ぶりな土地で(住むには十分大きいですが)正直預金も大してあるわけではないので、大層立派な寺院とはいかないですが、小さくてもエレガントで綺麗な寺院を建てたいと思っています。

ですがヒンズー教では死者に対して1年間は建造物を建てることは禁止されているので、1年間は入念にプランを練ります。

今思うと、最終的に一番可愛がっていたお弟子さんたちの土地で眠り、そこに寺院が建つことになるのは、もう決められていたことだったんだと思います。

行者の寺院が建つというのは、大聖者の証です。

この大聖者に対する私の無限の愛情と奉仕精神ははまだまだ(永遠に)続きます。

こういったわけで、今ラデ(お弟子さん)の家の2階2部屋に住ませてもらっています。

田んぼしかないど田舎ですが、インドは世界で第三のコロナ感染大国となってしまった今、マスクをしている人も一人もいない、こんなにコロナの心配をせずに安心に安全に暮らせる土地ですので、とても有り難い状況でもあります。

お弟子さんたちのグルジに対する深い愛から、私はこんな恩恵を与えられ彼らに救われました。

グルジとは肉体的には離れてしまいましたが、魂での繋がりはしっかりあります。

生前と同じようにはいかないものの、グルジとコミュニケーションも取れているのでそこも大きな救いではあります。

グルジには「グルジの人物像も作って、寺院建てるからね!」というと

「生前にどれだけたくさんの高価な物をもらうよりも、死後に寺院を建ててもらえることほど嬉しく、名誉なことはない」と喜んでいました。

グルジの存在はあまりに大きかったので今でも心に喪失感は大きく残っています。ですがグルジの魂とは繋がり、お弟子さんたちの愛とサポート、天界の助けによりもう一度生きる希望を見出すことができました。

私の命と引き換えにグルジが生き延びた場合、最終的にグルジの寺院を建てる人がいなくなってしまうので、天界は引き換えを許さなかった。そう思っています。

これから暫くこのお弟子さんの家でお世話になり、プランを練っていきます。

ちなみにグルジのお母さんは、先月ロックダウンが一時緩和した時にブッダガヤに荷物を取りに戻るまで、ブッダガヤの近所のネパール人ファミリーのところでお世話になっていました。

私がマドゥワニに引越すにあたり、グルジのお母さんはネパールに戻り向こうのご家族と暮らすことになりました。

1ヶ月間しか一緒に暮らせませんでしたが、85歳でありながら頭はとてもシャープで、謙虚で、洞察力に優れ、人の恩を決して忘れない、さすがグルジのお母さんだ。。。と思う素晴らしいお母さんでした。

NYに住むグルジの妹さんがネパールに戻るまで一緒に数年暮らす予定だったのですが。。。

子供みたいに純粋で可愛いいお母さんで、もっともっとグルジのお母さんにも奉仕したかった。。。

グルジのお母さんと1ヶ月でも暮らせたのは本当にとても嬉しかったです。

長くなってしまいましたが、グルジの魂とともに、そしてお弟子さんたちとともに別のかたちで再出発です。

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